第64話 2010年 ホノルルトライアスロン (2010年5月16日)

文字数 1,158文字

★「幻の表彰台」

2月1日 60歳になる、めでたく定年退職となるが継続雇用(契約社員)としてあと5年、
65歳まで働くことにした。
ISO140001取得プロジェクトを任されていた、コスト軽減ということで
外部コンサルタントを使わず自分一人で取り組んでいたが、
まだ決着がついていなかったこともあり、
また海外事業をOJTで後任に引き渡すことにもなっていた。

3月21日の結婚記念日には「祝還暦夫婦」という名目で松島・仙台を旅行した。
松島で泊まった「松庵」はプライベートエリアの中にある静かな宿、
おもてなし最大の気持ち良いお宿だった。
朝、部屋の窓下まで潮が満ちて優しく目覚めることができた。


  (翌2011年3月11日「松庵」は津波に襲われた)

2010年のビッグニュースは4月に「小夏」が家族になったこと。
平成22年2月22日生まれのちっちゃいビーグルの女の子だった。
そんな可愛い小夏を預けて、ホノルルトライアスロンに出掛けた。



5月の還暦レース「ホノルル」に向けて 膝、足底筋のご機嫌をうかがいながらトレーニングしてきた。
それ以上に加齢による体力低下にも注意した・・・もうオーバートレーニングはできないと・・。
第7回ホノルルトライアスロン、出場6回目、マジックアイランドに移って5回目のレースは運用スリム化が徹底していた。
それでもTIKI'S BARでのレセプションパーティ(有料)などローカルハワイの特徴が出ていてワクワクさせられた。このパーティで、東京医科大の西田ドクターに出会う、今回彼は選手としてやってきていた。



2010レースはスリム化の一環としてウェイブスタートも6回に集約されていた。
本大会の特徴であった安全スイムも大混雑となった。
僕は念のためツーピース・ウェット・スーツのパンツだけを着用した。
バイクパートでは、雨風に苦しめられたが、ランではきっちりと自分のパフォーマンスを再現できた。



エイジグループ60~64歳、3位位入賞。
11人しかいなかったとはいえ初めての表彰台…だと思った。
だけどローカルルールが僕の表彰台を阻んだ、ウェットスーツ着用の場合は表彰対象から外れる決まりだった。
パンツだけのウェットスーツだからクレームしてみてもよかったのだが、せっかくの手作りレースに水をさすのはやめた。
最後となったホノルルトライアスロン、幻の表彰台は長く記憶に残ることになる。



この年2010年からオアフ島のハイキングコースをのぞいてみることにした、
初回は「マノア・フォールズ」、アラモアナSCからバスで25分の近場に自然がいっぱい残ったトレイルが設定されている。
この後毎回、違ったトレイルコースを探して歩くことになる。
妻と娘の3人旅、定番コースから新規開拓コースまで何度来ても飽きることのないハワイだった。










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