第47話 プロローグ ’99佐渡国際トライアスロン大会(1999年8~9月)

文字数 1,533文字

★「大いなる遺産」
「NHK BS特番 家族に贈る父さんのチャレンジ宣言」取材・撮影



ノストラダムスの大予言…の7月になった、予言にはなかった面白い話をいただいた。
「7の月」初旬、SUB3高山会長の推薦でNHK BSのリーサーチャーから取材の申し込みがあり面談した。
「中高年の再出発ドキュメント」番組に関する調査だった。
僕は「病気からの再出発」編での候補になっていた、癌克服のために再度トライアスロンレースに出るお父さんと応援する家族ということらしかった。
ナルシストがお断りする理由は全くなかったが、そんなことよりもまとまった映像を家族に残すチャンスをありがたく思った、その時点では癌の今後の進展はまるで分らなかったのだから。

7月末には正式に番組制作が決まり担当ディレクター/プロデューサーと打ち合わせる、
9月の「佐渡大会」レース取材も決まった、いろいろと忙しくなってきた。
それには理由(わけ)があった。
手術が終わり、今すぐ転移の兆候もないとわかったとき、一つだけ実現したいイベントがあった。
前々から、ぼんやりと考えていたのは父の生まれた満州にもう一度父を連れていくことだった。
この時父は76歳だけどきわめて壮健、逆に僕はがんの手術をしたところだった。
今のうちに、転移などという嫌な事態になる前に父を満州に連れていくことに決めてツアーを申し込んでいた。
取材・撮影のある「佐渡」へ向けてのトレーニングピークの8月に中国東北(満州)に旅をする・・・・ことになった。

1999年8月は人生で最も盛りだくさんな忙しい夏になった、
そして僕はいつもポジティブなナルシストだった。
8月1日NHK ディレクターと終日打ち合わせ、写真、日記、メモなどの資料多数を提供した。
5日~10日は父の生まれた満州へのセンチメンタルジャーニー(奉天、長春、哈爾賓、大連)、
途中から強烈な下痢症状でダウン。
21日(土曜日)は終日TV制作クルーの密着取材を受ける(休日シーン編)、彼らのプロ技に付き合って疲労困憊になった。
26日(木曜日)は5:30~20:00は密着取材パート2(ウィークデー編)、朝ランからジムでのスイム、ウエイトトレーニングまで、おかげで緊張感を維持できた。
27日(金曜日)は東京共済病院後小路ドクターとの診察シーン、レストランシーンを撮影、連日の撮影で疲れ気味。
28日(土曜日)は自宅で家族のインタビュー、SUB3高山会長インタビュー、バイク搭載カメラのテスト ・・・練習も休養もできなかった。
29日(日曜日)は番組のテーマである「家族に贈る父さんのチャレンジ宣言」の手紙シーン撮影、レース準備ができないまま休日が終わった。

      
「佐渡」遠征スケジュールは過去2回と同じ、ただし今回は妻と父が応援同行した。
海老名から佐渡まで家族を乗せて運転、SUB3の仲間との団体行動はいつもの通りだが、
常に周りにTVカメラが回っていた。
仲間との会話もぎこちなかった、選手登録、説明会にもカメラはついてきていた、行動すべてが記録されていた。
ナルシスト冥利に違いなかったが、そのうち緊張が疲労に変わっていった。「佐渡」遠征のメインイベントである八汐荘の大宴会もいつもと違うテンションで盛り上がった。


レース前夜 勢ぞろいした撮影クルーとあいさつする、撮影ポイント、ユニフォーム、レースナンバーなどの確認のためだった。
10名以上のクルー、これは大変なことになったとようやく気が付いた。


        
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