第62話 2009ホノルルトライアスロン (2009年5月17日)

文字数 884文字

★「クラゲの日」
2009年はドクトル サクライとの一年だった。
年間で30回以上の通院、実質毎週治療を受けていた。3月初めに左膝が痛み出した、
今度は「膝」に来た。
中旬からは、左足踵(足底筋)も再発した。膝と踵が交互に悪化と回復を繰り返すようになった。
片方をかばって別の部位を痛めているのだろうと思ったが、痛みを抱えながら練習は続けた。
途中から、膝に水が溜まってきたのでヒアルロン酸注射と並行して「水抜き」もお願いした。
それもこれも、5月のホノルルトライアスロンのためだった、連続5回目 しかしロングタイプレースからは6年間遠ざかったままだった。
せめて、ショートタイプは楽しく完走したいと願っていた。
4月には昨年父と帰省中、岡山駅階段で父の転倒を支えたときに痛めた
左肘にも痛みが出てくる、
左翼の危機だった。

4月末 バイク練習の時にも膝が痛くなり、続けてのランで完全に無理をしてしまう。
5月ゴールデンウィーク、例年とっておきの練習期間だが、練習を封印して左翼を休ませた。
しかし、レース前1週間時点のランニングでは冷や汗が流れるほどの痛み、ショックだった。

一方ホノルルトライアスロンにもレース開催に「黄信号」が出ていた。
それは「クラゲ」。
レース当日はクラゲの大群が出現する予報があり、ワイキキ海岸はすべて遊泳禁止となる
…州命令だった。
そこでレース前日にスイム記録会が実施され、当日はスイムの代わりに5㎞ランになった。
それでなくても走ることができない僕に5㎞の追加ランとは・・・



レース当日、海岸には「遊泳禁止」の立て札がたっていた。



レーススタート前から痛みを感じていたのは初めての経験だった。
5㎞ランもやっと戻ってこれたような按配、40㎞バイクで膝を使わないわけにはいかない。
大幅に遅れてバイクゴールしたが、もはやここまで、10㎞ランには進めなかった、リタイアした。



繰り返す故障、でも意欲をもって何度でも治療に励み復活を目指していた。
チャーチルの言葉「繰り返し失敗してもあきらめないことを成功という」
熱中症、膝や踵の痛みは与えられた試練に過ぎない、乗り越えると信じていた。



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