第1話 トライアスロンとの出逢い (1986年1月)

文字数 2,257文字




「BRUTUS」 1986年2月号の特集「鉄人狂時代」に目を奪われたのは1986年新年、
僕は36歳だった。             
扉のコンテンツ欄には僕を鼓舞させるこんなコピーがあった;

「人類の進化は、古来より東から西へと伝搬する。世界の果て、アメリカ西海岸を席巻した フィットネス・ムーブメントは、さらにフィジカルに、よりウルトラに、太平洋を渡り、洋上のビッグ・アイランド、ハワイ島にて結実した。それがトライアスロンである。 ブルータスは、その発祥の地、ハワイ島コナで開催の元祖”鉄人レース”に挑み、鉄人の宴に明け暮れた 」

今、読み返してみてもアジテーションそのもの、そこに新しいスポーツ文化の誕生を予感したのは至極当たり前の反応ではあった。
というのも、
僕はその一年ちょっと前からフルマラソンの魅力に捕らわれたばかり、42㎞の苦難と感動に素直にはまっていた、いや中毒になっていた。水泳4㎞自転車180㎞そしてマラソン42㎞のトライアスロンとやら、とんでもないことだと想像できる位置にいた。

1985年11月の河口湖マラソンでデビューしたときのタイムは4時間3分、初めてにしては上等だと仲間に褒められた。
続く2回目、3回目で記録は良くなっていく・・・・3時間40分、3時間20分・・・と。
そんな高揚した気分の時に出会ったのが、途方もない競技トライアスロン、
「ブルータス」にものの見事に洗脳された・・「トライスロンをやりたい」と念じた。

その当時僕はイタリアのプラスティック家具メーカーの日本責任者・・と云っても社員数人の輸入販売商社だけど、結構忙しい営業の毎日だった。
時あたかもバブルの1986年、高級家具がまさに飛ぶように売れていた、お得意様だった六本木の「リビングモチーフ」様はブリジストンの子会社、サイクルショップに縁のない僕は大胆にもこのインテリアショップにロードレース用自転車を注文、仕入れ担当の方が怪訝なお顔をしたのが印象的だった。
納品は完成車で受け取ったものの、ホイールの外し方を知らなかった、当然ホイールの付け方も知る由もなかった。ドタバタで自転車は用意したが、水泳はほぼカナヅチだった。
まずはサイクリングでトライアスロンの準備段階の第一歩をスタートしようと思った。
それほどにブルータスの「鉄人強時代」特集は僕の内なるナルシストを目覚めさせてくれたのだった、特集に出ているすべてのトライアスリートが眩しかった。
生和寛さんのエドワード・鈴木さん(建築家)レースルポはその後の僕のレースバイブルになった。
横道にそれるけど、その後エドワード・鈴木さんにはお友達を介してお会いすることになった。事情を聴いて友人宅にバイクヘルメットを片手に現れたエドワード・鈴木さんの優しいお人柄が忘れられない。

誰でもそうだろうが、いきなりトライアスロン出場を目指してトレーニングを開始したりはしない、ましてXスポーツのジャンルにあったようなトライスロンは、近寄りがたい威圧感と、無論恐怖感があったから。

僕としては、マラソンでもう少し頑張りながら2種目の練習をしながら、いつか参戦のチャンスを、でも必ず出場したいと思っていた、極めてノーマルだった。
そんな折も折、マガジンハウス社が「TARZAN」を創刊する。
The Magazine That's Fit のサブタイトルが表すとおり、肉体の健康を目指す革命的なコンセプトの雑誌だった。バブル時代のあだ花なんかではなくて、真面目に身体を鍛え、精神を磨き、生活を快適にすることを標榜していた(2018年現在継続している)。
ブルータス読者だった僕は、抵抗なく新雑誌「TARZAN」を手に取った。
そこにあった創刊特別イベントが僕の運命的出会いとなる・・・

【1年間で素人をハワイコナアイアンマンに出場させる】チームターザン企画だった。
躊躇なく応募書類を作成し、自撮りした写真と一緒に申し込んだ、全く自然な流れだったし、これこそ僕のための企画だと信じていた。
応募者は758人だったと後から知ったが、書類選考を通過したとのお知らせを当然のように受け取っていた、通過者は20名だった。
20名の通過者は1986年9月、日本エアロビクスセンターにて合宿選考に進むことになった、
僕は買ったばかりのブリジストンロードレーサーを携えて銀座マガジンハウス社前からバスに乗り込んだ、36歳になってこんな面白い経験ができるなんて幸せだととても興奮していた。

記憶は定かではないが、一日目は編集長面接、体力測定、2日目に模擬トライアスロン(ミニサイズ)、この中で6名(男女各3名)が選ばれた。
カナヅチの僕が400メートルをなんとか泳ぎ切り、慣れない自転車を操り、それでも得意のランで追い上げて20人中6位になった。


無論選考基準は現在のアスリート能力ではなく、可能性、TARZANマインド、チームのバランスなどが考慮された。
結果、僕は中年パワーそれも妻帯者(子供三人)オジサンパワーの代表として合格する、
思えば36歳男性はTARZANのマーケットターゲットに近かったのかもしれない。
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