第69話 第28回全日本トライアスロン宮古島大会 (2012年4月15日)

文字数 1,480文字

★「すべては宮古島に逢えたから」

「人生いろいろ、故障もいろいろ」、
右足足底筋膜炎はドクトルサクライの勧めで誂えた「インソール」で、
痛みを感じなくなったと喜んでいたら、古傷の左肩が痛み出した。
お正月4日からバイク練習始動、昨年完走の余韻をずっとかみしめての再挑戦がスタートした。
早くゴールしなくてもよい、余裕をもって笑顔で戻ってくることを目指していた。

2月1日 62歳になる、あと3回の挑戦しか残されていない「宮古島」だった。
昨年の反省から、ランニングの手当てに重点を置いたトレーニングメニューを考えた。
2年ぶりの神奈川マラソン(2月5日)、
第1回京都マラソン(3月11日)
にエントリーした、
すべては宮古島に会うためのステップ、気持ちよく再会するための準備だった。
神奈川マラソン(ハーフ)は1時間57分、
京都マラソンは4時間21分、
着々と準備が整っていた。



●京都マラソンでのちょっといいお話
ノーベル賞受賞前の山中教授がゲストランナーで参加、
研究費寄付を訴えるメッセージベストを着て走った。
途中教授に遭遇する、せっかくだから一言申し上げた、
「走るのも結構ですが、しっかり研究してください」・・・・と。
レース後のインタビュー記事に、そのことを話されていた、
「・・・・グサッときた」と。



ノーベル賞受賞おめでとうございました。






13回目の宮古島、今回も一人旅、宿は前年と同じアトーレ・エメラルド宮古島。
オキナワ・レンタカーで旅行中の足を確保、久しぶりに島の名所を訪れることにした。



木曜日:ホテルチェックイン、〈すむばる〉で丼昼食、雪塩工場、選手登録、バイク組立、
    夕食〈たいよう〉でウナギ。
金曜日:ジョグ、朝食、バイク試走20㎞、パイナガマビーチでウェットスーツ試泳、車で
    バイクコースチェック、池間島アイランドテラス〈ニーラ〉でパスタランチ、
    夜は米田家で歓迎会 大感謝。
土曜日:パイナガマビーチでスイムスタート練習 スタート時にパニックになる
    トラウマになっていたので解消練習、ランチは「ドン・コルリーノ」でパスタ、
    バイク預託後は早々に就寝。



日曜日:2時起床、3時朝食、4時40分ホテル出発、7時レース開始

スイムは慎重に左端からスタートし大きく回り込んでロスしながらも安全に終了、
バイクではあまりにも大勢に抜き去られるのでフロントギアをアウターにして
快調に飛ばし6時間切り、
実はアウターの練習をほとんどしてこなかったツケがランでやってくる、
ラン折り返し手前から左太ももが踏ん張れなくなり残り7㎞から歩く、
歩くしかなくなる。




昨年は残り5㎞を苦しい中ダッシュしたがそれもできず最後まで歩くしかなかった。
ゴールの瞬間も歩いたのは本当に消耗していたからだった、
13時間26分26秒、4分弱余裕のゴールだった。



月曜日:バイク・完走証の引き取り、「海の幸」で泡盛付き豪華昼宴会、
    夜は「だいふく苑」で宮古牛のしゃぶしゃぶ。
火曜日:バイク梱包・発送後「たいよう」に挨拶、砂山ビーチでビール、
    ランチは〈すむばる〉でチーイリチーそば、スーパーで泡盛
   「トゥユミャ」6本セット、 養殖場で「海ブドウ」を土産に、

一人ならではの勝手気ままな宮古島観光を満喫した。




この後「宮古島」に出場しなくなるとは、
そして島の土を踏むことがなくなるとは、
宮古空港を離陸する時には全く思いもしなかった。
(この年 島の各地を巡ったのは何かそんな予感がしたのかもしれない?)



2018年現在、アグに会いたいと思いながら6年、
その想いをまだ果たしていない。


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