第2話 チームターザン始動 そして挫折     (1986年10月) 

文字数 1,662文字

★「夢と青春の旅立ち」

1986年10月 マガジンハウス社と14か月の契約を結ぶ、同時に生命保険・傷害保険にも契約した。つまり翌年12月までに「ハワイアイアンマン(10月)」に出場し終わっていることがチームのミッションになった。
チームターザンの6人はみな個性的だった:
大貫千恵(チエちゃん)       
桜田武也(タケちゃん)
小笠原久美子(クミちゃん)
勝又紀子(ノリちゃん)
今井武紀(イマイくん)
香川良民(愛称はなかった)



2018年の今もメンバーとの交流は続いている。良い仲間だった。皆でハワイアイアンマンに出場できることを本気で願い始めた。
とはいうものの、1986年のトライアスロンシーズンはすでに終了していた、
メンバー全員のデビュー戦は1987年の宮古島大会(4月)に決まった。
ところで、僕にはそれまでに片づけておきたいことがあった。
これから一年、昨年から夢中になっているフルマラソンとしばらく離れることになる、
その前に目標(夢に近い)のサブ3(3時間切り)を果たそうと思った。その夢舞台は昨年デビューした大会「河口湖マラソン」11月30日。
すでに今年3回フルマラソンを走っていた。通算4回目となった筑波学園マラソン(3月)では3時間24分17秒までにタイムを伸ばしていた、もうすこし・・・ここからが難しいといわれていたが発展途上中の僕は怖いもの知らずだった。
そして5回目の(二度目の河口湖)マラソンであっさりと3時間を切った、ほんの少しだけどサブ3になった、2時間58分47秒だった。
もうマラソンに思いを残すことはなかった、トライアスロンに集中しようと決意した。



フィットネスマガジン「TARZAN」は隔週出版、毎号に「チームターザン レポート」
が掲載されることになる。
サポートチームはマガジンハウス編集部から2名が担当になっていただき、実際のトレーニングはヒーロー工房スタッフ、取材・レポートは小林信也さんだった。
トレーナーの白石宏さんには主に基礎体力トレーニングからレースに向けてのメニュー作成、コンディショニング管理をしていただく、白石さんはその当時すでに《神の手》と呼ばれる鍼灸の魔術師、業界のスーパースターだった。
裏話になってしまうが、ジムワーク、自転車、ランニング、スイム各パートのテクニカルなコーチングは個別または取材時に都合のつくメンバーに限られていた。
誌面制作がどうしても第一義になるため仕方のないところだが、出張が多く働き盛りだった僕はメンバーと一緒のトレーニングに参加できないことが多かった。
それでも、6人の記事がバランスよく隔週レポートされていたのだった、実態はともかくとして。
例えば3月14日のスイムトライアルには僕は参加していないが、翌15日の「立川マラソン(20㎞)」には僕、ノリちゃん、クミちゃん、タケちゃん4名が走っている。
おそらく僕は自主練習、一人トレーニングが多かったと思う、せっかく編集部が用意してくれた著名なアスリートとの練習会にほとんど参加できていなかった、特にトライアスロンの神様デイブ・スコットとの対談に出られなかったことは一生の悔いになった。


その代わり、ギアーのサポートはたっぷりといただいた、これは6人皆同じではあるが。
自転車はパナソニック、ウェア・シューズはミズノ、腕時計はセイコー、ヘルメット・サングラスはスワンズ、移動用ウェアはラコステ、ちょうどトライアスロン・ビジネスが動き出していた。
山本光学スワンズの技術者とはオリジナル製品製作のため最初から細かな打ち合わせをした、
いろんなタイプのヘルメット試作品を使ってみて意見をまとめる、新製品開発というなかなか貴重な経験だった。
順風満帆、充実したチームターザンライフを満喫していたところに大きな落とし穴が待っていた。
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