第13話 総括 「チームターザンの二年間」

文字数 1,564文字

★That's the beginning of beautiful Triathlon Life (美しきトライアスロン人生の始まり)

チーム・ターザンで2年間トライアスロンができて良かった。
もっと正確に言うと、トライスロンスタートの2年間をチーム・ターザンで過ごせて良かった。
僕のトライアスロンの定義は明確だった、「自分を褒めてやれるような努力をしたい」だ。
その裏では、仕事を達成し、家族を守り、友情を保つことは人間として社会を生きていくうえで当然、いや最低のノルマだと思っている。
2年前フルマラソンを3回経験したことで未知の分野に足を踏み入れたスポーツ嫌いの僕は、トライアスロンをスポーツとしてではなく「人生の意義」と考えていた。
トライスロンは想像するだに人間の力を超えた競技だからこそ、そこには感動が用意されているに違いないとも思っていた。
トライスロンと濃密に過ごした2年間、単純ではあるが大切なことを学習した。



(1)トライアスロンはやはりスポーツだった
当たり前すぎることだが、趣味で愉しむ競技ではなかった。いま世の中にはスポーツが溢れておりファッショナブル・スポーツも有りうると思っている。
トライアスロンもそういった捉え方があるが、そこから入るのは大いに気を付けなければいけない。科学的なトレーニングに加えてメンタルトレーニングはどのスポーツにも必須だが、ロングタイプのトライアスロンには加えて長期計画も要求される。
僕が「人生の意義」と思い込んだことは的外れだった。
トライアスロンはやはり紛れもなく、スポーツだった。

(2)トライアスロンを通じてスポーツの面白さが分かった
2年間大きな怪我や小さな事故、あらゆる経験をさせてもらった、なかでも貴重だったのは、
白石トレーナーと小林コーチからのアドバイスだった。
すこしマラソンをかじっただけの僕だけど、相変わらず体育会系の雰囲気が苦手でスポーツへの共感に欠けたままだった。
骨折が完治してから、自分を追い込むという空恐ろしいことを実行してみて、スポーツの入門編を学んだ気持ちになった・・・
トレーニングでパフォーマンスの限界に迫ったときレース(試合)に対する恐怖はなくなりレースにいる自分の姿も予視できてくるが、逆にトレーニングが不十分だと感じたときこの現象はなくレースを楽しむことはできない。
すなわちトレーニングを経てレースを楽しむノウハウを知った、これはスポーツ全般にも言えることだ、いい加減な気持ちで新しいスポーツに手を出せなくなった。

(3)トライアスロンではなく、そのトレーニングに哲学を感じた
2年間のトレーニングはひとつの実験だった、この競技自体歴史も浅く集大成された科学的トレーニングなど確立されていないことを考えれば、2年間は大いなる試行錯誤の期間だったかもしれない。
当然のこと僕自身最適なトレーニング方法を作成できないでいるが、これから毎年年齢を重ねていく中で、トレーニングも同じように変化していくだろうし、人生で得る思考もそこに何らかの影響を与えるはずだ。
これからの年齢・年齢でトライアスロンを愉しみたいとすればどんなトレーニングを計画するか?
実に楽しい永遠の宿題を貰った。

(4)60歳過ぎてもトライアスロンができると嬉しいな
スポーツの愉しみを知り始めたが、本音はエリート・アスリートを拒否している我が身が、これからチーム・ターザンOBとしてトライアスロンを愉しむ、なんだか矛盾だらけだ。
決して焦ることなくトレーニングを積んでレースを生涯愉しむだけ、それならできそうだ。
2年間で7回もレースを経験させてもらったのだから、これからは欲張らない。
60歳までに50回レースに出場できるかな?
だから この2年間は「美しいトライアスロン人生」の始まりに過ぎない。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み