第4話 アイアンマンジャパン’87 IN びわ湖 (1987年7月19日)

文字数 985文字

★「雨と共に去りぬ」

ターザンが目標とした「1年でハワイアイアンマンに出場する」ためには予選であるアイア
ンマンジャパンで資格を取らなければならない。エイジグループでの上位順位が必要になる、当時は資格を辞退する選手も多く当確の順位は読みづらかった、ともかく少しでも早ければOKだった。
何度も自分の落ち度である不運の骨折を恨んだことか、でもそれは入院している間だけだった。一度目標と工程を決めたら後はそれを実行する、できないのなら方法を修正し再度試してみる・・・ビジネスのPDCAサイクルだった。
最悪の条件下で何ができるか?人生でもその後たびたび直面した命題だった、
生まれて初めての骨折後遺症と目前の栄光のチャンスを前に必死でもがいた。
きわめて不完全な体調なのに、バックアップ体制は最高。

初めてのトライアスロンはびわ湖、そのびわ湖へはなんとロケバスで乗り込む。
話でしか聞いたことのなかったロケバスに編集スタッフ、コーチ・トレーナー、カメラマンと
一緒・・・アスリートというよりギョーカイ人の雰囲気だった。
当然のようにコース下見もロケバスで、「こんな恵まれた環境なのに・・・ベストコンディ
ションなら・・・」の繰り言ばかり。 びわ湖にはイマイくん以外5名がそろった。


レース当日は朝から雨、最後まで雨が降り続いた。
びわ湖の水は藻と汚れで視界不良、それでなくても右肩がよく回せない僕には恐怖だった、
とはいえ ここにようやく僕のトライアスロン人生が始まった。
バイクは雨の中ひたすら転倒しないように注意してライドした、骨折箇所はまだまだ完治していなかった。


途中鉄道踏切で止められたのでついでに小用を足した、トライアスロンは自然を相手にしたワイルドなスポーツ、それでもランは32㎞、5.68分/㎞のペースで走り終えた。
結果はハワイ本大会に出場できる順番には達しなかった、仕方なかった、でも骨折3か月後 
これほどまでに頑張ることができる自分が不思議だった。
これが僕のトライアスリートのデビュー戦、ほろ苦いスタートだった。
そう、世界への道はそんなに甘くはなかった。





   
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