第21話 TARZAN カップ トライアスロン(1991年5月19日)

文字数 1,067文字

★「私をTARZANに連れてって」

四十一歳、本厄の一年はストレス症胃痛から始まっていた。
そのストレスを解消しないまでも忘れさせてくれるのはトライアスロントレーニング、目標ある生活が何とかぎりぎり精神を維持していた。
そのまたトレーニングの息抜きは、雑誌「TARZAN」を読むこと、チームターザンが終了しても「TARZAN」は相変わらず面白かった。
チームターザン契約中は「贈呈」として毎号送っていただいていたが、そのあとは自費で読んでいる、当たり前のことだけど。
そんな折、創刊5周年記念行事としてミニ・トライアスロン開催、参加者募集の告知を雑誌で拝見した。


正式には「ターザン創刊5周年記念 ターザン・ミズノ・ミニトライアスロン」、仕掛け人はBRUTUSで「鉄人強時代」をレポートした生和寛さん、そうなんだ、あれからもう5年がたっていた。
マガジンハウス社が5周年企画で、ミニ・トライアスロンを実施するのは、その意味でも当たり前の流れであった。
チームターザンの2年間、そのあとハワイアイアンマンまで駆け上がって来た僕のトライアスロン人生のスタートが「TARZAN」にあった。

アイアンマンになった自分を見てもらいたい・・・ナルシストがムクムクと擡げてきた。
今回も躊躇することなく申し込み手続きをした、これはもしかしてナルシストではなく恥知らずだったのか? そうするとTARZANから『招待選手にいたします』との連絡があっ
た、そりゃそうだね。まちがいなく恥知らずだった。

招待選手にはその他に、山本光宏プロ、ハワイ在のネルソンさんなどTARZANゆかりの人たちの名前があった。 ノリちゃんも団体選で参加していた、久しぶりに古い友人と会う・・・5周年らしい嬉しいトライアスロンになった。


TARZANNカップは選考会でお世話になった日本エアロビクスセンターで開催、かの地もまた僕のトライアスロン人生の原点の一つだった。
レースには家族全員で参加、初めて家族の前でレースをし、家族から熱い応援をもらった。
レース結果個人の部で30人中6位、生ディレクターの推奨するフィットネスとしてのトライアスロン思想に逆らって、がむしゃらだった、これも恥知らず。
レース後の表彰式パーティはブッフェの食べ放題、久しぶりに家族サービスをさせていただいた、


《実家》TARZANに感謝!
1時間7分54秒、総合5位。
            
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