第68話 番外編 2011年ホノルルマラソン(2011年12月11日)

文字数 951文字

★「傷だらけのナルシスト」

7年ぶりの「宮古島」の疲れは1か月も残っていた、加齢の顕著な影響だと思った。
6月には生まれて初の自動車事故、幸いにも双方怪我無く車の損傷だけで済んだ。
事故被害には何度かあったことがあるが、
自分のミス(不注意というか気づかなかった)での事故にショック。
国レベルでは 3.11の原発事故への回復兆候が見られず、
現状日本の問題点が明らかになった。
つまり、何も決定できない誰も手を汚さない・・・痛いほどの日本凋落にショック。

2011年は「佐渡」をスキップして12月「ホノルルマラソン」まで
じっくりとランニングだけの練習に集中する。
7月、8月の暑さの中のランは苦しい以上に危険、
朝の時間帯を活用する、いわゆる早朝練習に変える。
5時から3時間、それでも8時ごろはすでに灼熱の日本の夏、
「夏の走り込みが本番(冬)に生きる」というマラソン練習の格言がある。
ホノルルは冬でも暑い、この格言はホノルルマラソン用に違いないと信じて走りこんだ。

42㎞試走後の11月12日、練習途中痛みで走れなくなる、右足底筋膜炎が悪化した。
今まで注射一本で回復していたが今回は四本でもダメ、
最後の手段として「インナーソール」を特注した。
インナーソール使用の影響で今度はアキレス腱の炎症、
アキレス腱への直接注射は空前絶後の痛みだった。
鎮痛剤とインナーソール併用で何とか痛みなく歩行できるまでに回復した時は
レース直前になっていた。

2011年の「ホノルル」、今までで一番不安で自信のないスタートに立っていた。
6週間練習なしで治療に専念してのぶっつけ本番。
そしてまだ慣れないインナーソール装着、痛み止めのボルタレン服用。
スタミナ不足はスピードダウンでカバー、
あとは痛みをどこまで我慢できるかが課題だった。
走り始めるといろんな痛みが沸き起こってきたがどれも致命的ではなかった。
終わってみれば4時間52分で完走、
アスリート歴25年のノウハウの結集の勝利だった。

最悪のなかのベスト!




さて、2011年のトレッキングはというと 
「ココ・クレーター植物園」。
THE BUS 23ルートの運転手さんは親切で到着停留所を教えてくれる
・・「ココですよ」




冬場はお花が少ないとはいえ広大な植物園をゆっくりと見て回れる、
大切な思い出になった。


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