第40話 ’97 トライアスロン IN 徳之島 (1997年6月20日)
文字数 418文字
★「ニューワールド」
1997年はアイアンマンジャパン IN びわ湖開催が最後となった年だった。
無論そんなことになることなど知らなかった僕はエントリー用紙を前に躊躇し悩んだ末にエントリーした。2年間リタイアしているアイアンマンジャパン、熱中症で完走できなかった「びわ湖」が少し怖かった。
案ずるより産むがやすし・・・ということで「びわ湖」から「不承認」の通知が来たのが4月だった。
そんな時SUB3メンバーから「徳之島」を奨められた・・・・自然の真っただ中のレース、料理も上手いし島の人は親切だ・・・と。
「宮古島」から戻った4月23日に「徳之島」参戦を決めたのは、「宮古島」でもひどい熱中症に襲われたから。まずハーフサイズのレースで熱中症に立ち向かってみようと思った、
どん底から這い上がる覚悟だった。
徳之島のことはSUB3の会報用原稿をご覧いただけるとよくわかる (以下ご参照):
1997年はアイアンマンジャパン IN びわ湖開催が最後となった年だった。
無論そんなことになることなど知らなかった僕はエントリー用紙を前に躊躇し悩んだ末にエントリーした。2年間リタイアしているアイアンマンジャパン、熱中症で完走できなかった「びわ湖」が少し怖かった。
案ずるより産むがやすし・・・ということで「びわ湖」から「不承認」の通知が来たのが4月だった。
そんな時SUB3メンバーから「徳之島」を奨められた・・・・自然の真っただ中のレース、料理も上手いし島の人は親切だ・・・と。
「宮古島」から戻った4月23日に「徳之島」参戦を決めたのは、「宮古島」でもひどい熱中症に襲われたから。まずハーフサイズのレースで熱中症に立ち向かってみようと思った、
どん底から這い上がる覚悟だった。
徳之島のことはSUB3の会報用原稿をご覧いただけるとよくわかる (以下ご参照):