第31話 全日本トライアスロン宮古島大会 (1994年4月24日)

文字数 1,046文字

★「七年目のピーク」

アスリートにはピークがある、人生にピークがあるように。
人生のピークは、いつも「これからさ・・・」と内省しているが、アスリートのピークは明白だった。そのピークが1994年にやって来た、44歳のピークだった。
一般的に40歳前半が耐久型スポーツでのピークといわれているのにも僕のケースは一致する。
でも、僕はピークが来るのはトレーニング累積時間ではないかと思っている、
つまり「トライアスリート7年目ピーク説」

37歳から始めると44歳がピーク、76歳から始めると83歳がピークだ。
だから高齢から始めると(始めることができるとすれば)80歳代のスーパートライアスリートが
実現する。このセオリーは僕の周りの仲間たちを見ていてそう思っただけで科学的根拠は全くない。

僕のピーク1994年3月のトレーニング記録を振り返ってみて、千葉・東金での3日間合宿を思い出す:
スイム3.8㎞、バイク245㎞、ラン19㎞を大勢の若いメンバーと一緒にこなしていた。
暗くなって寒くなってもまだアシスト・カーが来ないものだから、メンバー10名近くが1台のバンに重なりあって乗り込んで寒さをしのいだり、夕食で立ち寄った《すき焼き食べ放題の店》であるだけのお肉を食べ尽くしたり、東金トライアスロンクラブとの交流を深めたことを、昨日のように覚えている。
ピーク時の思い出は甘くて美しいものだ。

閑話休題、
1993年のアイアンマンジャパンで11時間切りの自己記録で予算通過したが、重病の母への想いという精神的な要因だけとは思えなかった。なぜなら、続く1994年の「宮古島」でも最高成績を出したからだ。



バイクコースが155㎞に変更してからのベスト記録を12分縮めている。
総合順位も過去最高の133位だった。
想定できるその原因は以下の3点:
① バイクのレベルが上がった
② スイムが安定した
③ 持久力が強化された
う~ん、これでは説得力が弱い、よくわからない、やっぱり7年目ピーク説が有力だ。
真相を試す機会は次の「アイアンマンジャパン」だったが、1994年5月14日 出場「不承認!」の通知があった。

ハワイアイアンマンをドタキャンしたペナルティだったのか?
明らかなのは 僕のピークは1993年6月から1994年4月のあいだに輝いていたことだ。




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