第7話

文字数 1,332文字

 日が傾く頃から断続的に降り始めた雨は、夕闇が迫る頃には本降りになり、辺りを雨音が包み込んだ。
 丈郎は傘を差し、もう一方の手に傘を持ち、薄暗い林の中を歩いていた。
 神社の社が見えている。丈郎は正面に誰もいないのを確認すると、社の裏側に回った。
 シキは社の壁に寄りかかって座っていた。まだ丈郎に気付いていない。丈郎はシキのイヤホンに気付く。あれで雨音を消している。
 丈郎はシキの視界に入るように、目の前に立った。シキは丈郎を見上げた。
「何でわかった」
「何となく」
 彼が来るかもしれないと思ったら、家には帰れない。シキに他に行くあてはないだろう、そう考えた。
 丈郎は「ずっとここで過ごすつもりだったのか」と、シキの(かたわ)らの水のペットボトルと蚊取り線香を示した。
「百均で買った」
 いがらっぽい煙が立ちこめている。樹と土にしみこんでいく雨の匂いを消して。
 シキに何か言われる前にと、丈郎は口を開いた。
「捕まって、伝言を頼まれた。――どんな所に住んでるのか見に来ただけで、会うつもりはなかった、と」
 丈郎はシキの表情を(うかが)おうとするが、シキは目を伏せていた。
「それと――、リカさんが、入院してる」
「えっ」
 シキが顔を上げた。
「初期のがんの治療だそうだ。大丈夫だから言わなくていいと言われていたそうだが、伝えておいてほしい、と」
 丈郎は暗記した病院名と病室を告げた。シキは再び視線を落とした。
 虚ろな表情だった。何も見ていなくても視線を上げて夜の林を見ていても、それはここで彼女が見た最後の景色に限りなく近いはずだ。
「うちに来ないか」
 丈郎は誘った。
「すぐそこだ」
「――いや。いい。そのうち帰るし」
「いつだ」
「雨が止んだら」
「今日はもう止まない」
「だったら、もう少ししたら」
「適当なことを言うな。ここでもし心不全とかで突然死されたら、呪われた場所とか言われて、近所中が迷惑する」
 シキが視線を上げた。
「ここなのか。――そうだな。裏に回るよな」
 表側にいなければ裏側にいる。今し方シキを捜しに来た時に自分がそう動いたのを、丈郎は思い出す。
「行こう」
 渋々立ち上がったシキに、丈郎は傘を手渡した。


 傘が雨を弾く音とシキの足音がついて来るのを聞きながら、丈郎は昼間の駅での出来事を思い返す。
 丈郎を呼び止めた男は、二十代半ばくらいに見えた。
「純の叔父だ」
 純はシキの名前と丈郎は見当をつけたが、叔父だというのは不審に思った。丈郎の表情を読んだのか、彼が言った。
「兄とは年が離れてたから、純とは九歳しか離れてない」
 そして呼び捨てする程、近しい。――近しかった。今は出くわすなり逃げられる。
「きみは純と親しいのか」
 丈郎は曖昧に肯定した。親しいと断言できない。違うと言えば嘘をつくように感じられる。
 彼はそれも察したのか、微妙な表情で小さく頷いて、言った。
「もし純に会うことがあったら、伝えてほしいことがある」
 伝言を預かり「会うことがあったら伝えておく」と言った。シキが「またな」と言ったことに再会の望みをつないでいたが、確実なことは何もない。
 彼は改札を出て南へ、シキの住居があるはずの方向へ歩いていった。先刻の言葉通りに、シキの生活圏を見て回るのかもしれない。シキの姿を探しながら。
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