第15話

文字数 2,764文字

 空の部屋に朋彦を残して、丈郎は家路を辿(たど)った。
 朋彦がこの町に現れたのが、シキが消えた理由なのか。住処(すみか)と職を捨てても朋彦を避けたかったのか。
 シキの母方の叔母、篠塚理香は「そんなことになるかもしれないと思ったから、朋彦さんには純の住所を教えなかったのに。誰から聞いたんだろう」と嘆息していた。
 唐突に病室を訪ねた丈郎に、理香は不審のまなざしを向けてきたが、名乗って面会に来た事情を話すと、まっすぐ丈郎を見てくれた。率直に語れば応じてくれる人ではないかと思った。「聞きたいことがあります」と告げると、理香は人影のない午後の待合室に丈郎を導き、そこで話した。
 一時同級生だったシキと偶然再会したこと、その後何度か会ったこと。シキに「親に刺された」と打ち明けられた後、朋彦の名でネットを検索し事件の記事を読んでしまったことを、丈郎は話した。
「話してくれるのを待つのが正しいと思います。でも『もう知ってるから、隠そうとしなくていい』と伝えられたら、とも思ってます。次に会った時どう接すれば、と思っていたけど、次が、来なかった」
「どちらが正しいか、というか、純が安住君にどちらを望むかは、私にはわからないけど。安住君が純の力になろうとしてくれていたことは、わかった」
「篠塚さんは、事件の記事を読みましたか」
「読んだよ。地方面に載った小さな記事」
「最低限のことしか書かれてないような内容でしたが。あれは事実なんですか」
 理香は少しの間、黙り込んだ。
「それが聞きたいことなんだね。……私が話せることなら答える。それでいいかな」
「ありがとうございます。――朋彦さんは、どうして通報しなかったんですか」
「したけど、できなかったの。朋彦さんは両手に切り傷を負ってて、自分のスマホで119番を押したけど、血がしみこんで何も伝えられないうちにスマホが壊れた。朋彦さんはあの日、純のケータイがつながらない、料金未納で止められたと察して家を訪ねて明さんとけんかになったそうだから、外で助けを求めるしかないと知ってた。だからその場を離れた。そう聞いてるし、朋彦さんの通報の記録は残ってるとも聞いた」
「朋彦さんは不起訴になったんですか」
「ううん。一審で執行猶予がついた判決が出て、確定したの。私も証人として出廷した。でも裁判って……、今も時々考える。自分は正しかったのか、あれでよかったのか。色々と」
「不審な点は、ない。それは確かなんですね」
 理香はしばらく黙り込んだ。
「明さんが純を刺した、朋彦さんが明さんを死なせた、それは確か。証言と鑑識の結果が一致してる。罪として裁かれるのは、それだけ。でも――」
 理香は言葉を途切れさせてから、言った。
「あの二人は、何か隠してる。それは私も感じた。私だけじゃなく、関わった人の多くが。安住君も、そうでしょう」
「意図的に何かを隠そうとしているとは、思っていませんでした。彼と朋彦さん、亡くなったお父さんの三人の間に、他の人間にはわからない何かがある、それは当たり前のことですし。彼はそれをずっと引きずって、罪悪感のようなものを抱いてる。朋彦さんは話し合うことで何とかしたいと思ってるようですが、彼は朋彦さんを避けてる。『逃げてる』と言うけど、何を怖れて朋彦さんと向き合えないのかが、わからない。
 あの時起こったことで、ひとに隠しておきたいことがあったなら、それを隠してる負荷は、朋彦さんより、彼の方が大きいように思います」
「そうだね。純は、だんだん何も言わなくなっていった。今思えば、明さんが亡くなった直後の、錯乱してた時の方が、素直だったと思う。妹が死んでから明さんとはひどい状態だったのに、すごく泣いたり。おれのせいだって叫んで暴れたり、逆に、何で殺したってわめいたり。刺されたことを覚えてないのかと疑ったくらい。
 私ねえ。正直言って、明さんは純に憎まれたまま死んでくれてたらよかったのに、と思った。死んだ後も純を苦しめるなんて。……でもひとの本性というのは、そう簡単に変わらない、最後の最後にも現れるものかもしれない、とも思う。
 昔は、妹がガンがわかってひと月で死ぬ前は、普通のひとで、普通の父親だったの。でも妹が死んだら、ひとが変わってしまってね。無気力になったり、かと思えば飲んで暴れたり。会社も辞めて。純は眼中にないか、けんかするか、もう滅茶苦茶。見かねて純を引き取ろうとしたら怒り狂うし。――あの二人が隠してることは、明さんが刃物を持ち出したことに関係あるはずなんだけど。明さんは、あの包丁で、本当は何をしたかったんだろう」
「仲裁されたことに腹を立てて刺した、篠塚さんはそうじゃないと、思われてるんですか」
「私にはわからない。明さんが、そこまで落ちぶれてたと思いたくないだけかもしれない。
 明さんは純を手放そうとしなかった。親らしいことができてなくても、それとこれとは別なの。逆らったから怒って刺したとは、私には思えない。純を殺して自分も死ぬとか、純をとられたくない一心で思い余ってとか――。でも明さんは、純を刺したことを、後悔しながら死んだみたい。自分だって刺されて、まじで死ぬ程痛かったはずなのに、純の背中に手を置いて死んでいたと聞いた。止血したかったんだと思う」
 丈郎は様々な光景を想像しようとしたが、できなかった。
 父が死んだと知った直後、シキが「おれのせいだ」「何で殺した」と叫んだのは、どちらも本心だったのだろう。父の死、叔父を殺人者にしてしまったこと、どちらにも責任を感じて、次第に(ふさ)ぎ込んでいったのではないか。
 荒んで関係が悪化していた父の、最期の行動。シキはそれを知っているのだろう。刺さった刃。置かれた手。最期に現れる、本性。でも、だからといって、すべて許してしまうことなどできないのに、父は死んでしまった。「明さんには純に憎まれたまま死んで欲しかった」という理香を、正直な人だと改めて思った。
 憎しみだけに染まってしまえたら、もう思い(わずら)わなくていい。
 理由がひとつしかなかったら、どれだけ楽か知れない。たいていは解けないくらい、ねじり合わさっている。


 理香は、丈郎が聞きたかったもうひとつのこと、シキの連絡先は「ごめん。純に無断では教えられない」とはっきり言った。
 病室に戻ると、理香はケータイから電話を掛けたが「電源切ってるみたい。というか、たいてい電源切ってるのよ」と顔を曇らせた。
「時々メールをくれるけど、自分のことはほとんど書かないの。誰と(つな)がるかわからないから嫌だ、何言われるかわからないからって、LINEも何もしない」
 理香は不安になったのか、住所を教えてくれた。
「純が家にいたら、私は大丈夫って、言っておいて」
 別れ際、理香は「純を心配してくれてありがとう」と言った。

 
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