第5話

文字数 876文字

 夕刻になっても昼間の暑さが残っていたが、丈郎は外出した。
 一日一度以上は家の外に出ることを自らに課している。誰かと関わる訳ではないからひきこもり状態なのは変わらないが、歩き回るのは嫌いじゃない。
 門から路上へ出て神社の方へ向かう。くちなしの甘いばかりの匂いが漂っている。
 収入を得る手段を探し資金を貯めて、旅行の計画を立ててみようかと丈郎は考え始める。収入があれば進学費用の足しにもなる。
 神社の境内へ出る林の中の道を抜け、石段へ向かっていた丈郎は「安住」という声に呼び止められ、振り返った。
 社の前にシキが立っていた。
 何故シキがいるのか。丈郎は言葉を失くして、硬い表情のシキをただ見ていた。
「傘を返しに来た」
 シキが言った。だがシキの手許に傘はない。丈郎は困惑した。
「それと。謝りに来た」
「――何を」
「駅でのこと。ごめん。後ろから(つか)まれるのが苦手なんだ」
 早口に一気に言い切られた言葉を、丈郎は数瞬かけて理解した。だが事実だから苦手を一息で告白したのか、言い訳だから素早く済ませたのか、判別はできない。
 シキは(きびす)を返すと社の方へ歩いていった。社の壁に立てかけていた傘を手に取ると、丈郎の前に立った。最初に貸した時「返さなくていい」と言い、次は置いてきた傘だった。
「いつからいたんだ」
 丈郎が尋ねるとシキは「昼からかな」と曖昧な返事をした。
「今日も静かで、誰も来なかった。山の上だからか。いわくつきの場所なのか」
「――去年、ここで自殺があった」
「そうか。それで誰も近寄らないのか」
 シキは淡々と言った。ここで静かに過ごすには好都合だと思っていそうだった。
「気味が悪いと思わないのか」
「安住は。知ってて通っているんだろう」
(たた)りたいなら祟ればいい。でも死者が現れたことはないし何も起こらない。死者が残すのは人の心の中のものだけで、この場所に何か残ってるとは思わない。何かがみえるとしたら、それは心が映し出してるものだと思う」
「わかる。――おれもそう思う」
 わかるのかと丈郎は思った。
 シキの心の中にも死者が()みついている。多分そこには雨が降っている。
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