第13話

文字数 1,421文字

 その日の午後、丈郎は神社にいた。社の軒下、いつかシキがいた場所に座り、降り出しそうなのに時折小雨がぱらつくだけの曇天を、誰一人通りかからない境内を、静まりかえる林を、眺めていた。
 職場の終業前の時刻に現れるはずがないと思いながら、石段を登ってくるシキの姿を待っていた。それでいて、もしシキが来たらどんな顔をすればいいのか、調べたと告白するか素知らぬ振りを通すか、迷っていた。
 あの記事は事実だと考えた方がいいと丈郎は思っていた。式原朋彦が自由に動き回っているからには、シキを刺したのは父親の明で、朋彦は兄を刺殺したが、過失致死で執行猶予がついたか正当防衛と認められたのだろう。
 シキが父親と叔父の口論を仲裁していて刺されたのなら。身の危険を感じて逃げようとしていたのか、父親に背中を向けて朋彦と向かい合っていた時だったのか。
 どういう状況だったにせよ。シキは父親に刺されるという衝撃の後、叔父が父親を殺したという次の衝撃に襲われた。そしてこの町に流れ着いた。一人で。シキの母親は、もうシキの身辺にはいないのではないかと丈郎は感じている。朋彦が口にしたリカさんという人は、縁者だろうが、母親ではなさそうだ。
 丈郎はシキの言葉や行動を思い返した。「後ろから掴まれるのが苦手なんだ」。駅で丈郎の手を振り払った時の怯えたような目と、茫然として丈郎を見送る表情。「ずっと会ってない。逃げてる」。事件以前のシキと朋彦は、仲が良かったのではないか。駅で「純の知り合いか」と問いかけてきた時の朋彦の口調。「朋」と、名を口にしかけてやめたシキ。
 シキと父親の関係は、どうだったのだろう。記事に生活態度への注意が発端だったように書かれていたが、シキの父親は荒んだ生活を送っていたのだろうか。シキはそんな父親をどんな風に見ていたのだろう。……たとえどう思っていたとしても、死なれれば、心の内に穴があき、暗い風が吹き抜けていく。そうならないように何かできたのではと、自責の念が穴を広げていく。
 とりとめもなく、様々なことを思い返しながら、丈郎はシキが言った「そうなるかもしれないと想像してなかった報いなのに」は、何を指していたのか考える。
 あの後、シキは服を脱いで背中を見せた。事件に関係していることなのだろうが、シキは何を想像するべきだったと思っているのだろう。
 他にもひっかかりがある。「教室にいていい人間のように振る舞うことへの違和感」、シキが語った中退の理由のひとつだ。シキが自分を逸脱した存在だと感じる理由は何なのか。親に刺されてその親を叔父が殺したという惨事を、どこかの時点で止められたはずだと自分を責めているのだろうが、丈郎がやったことに比べれば、普通の高校生活をあきらめるようなことじゃない。
 あの記事は出来事を、表層を文面にしたに過ぎない。近親間での殺傷に至ってしまった事情は他人にはわからない。
 丈郎は弱い日射しの下の境内を見遣る。
 もしシキがあの石段を登ってきたら、朋彦の名で検索して事件の記事を見つけたと、打ち明けようか。だが「まだそれしか話せない」と言ったシキを裏切ることになる――それはわかっていたことだ、既にシキの意に背いている。今更言い訳かと思い、「今更」で彼女を思い出す。彼女もこの神社で丈郎が石段を登ってくるのを待っていた。

 雨の(きざ)しも初夏の気配も(とぼ)しい湿気った一日が暮れて、丈郎は家に帰った。
 夜中ほんの一時、雨が降った。

  
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