第15話
文字数 2,021文字
午後四時頃に廃線路跡に着ける電車を選んで、丈郎とシキは空いた車両に乗り込んだ。
地方の路線で、線路は単線と複線が交じり、電車は複線の駅で行き違う。複線の駅はひとつ向こうの駅で、下りの到着時には上りの電車が停車している。この駅で電車の到着後もホームに残るのは、数分後の上りを待つ人々だった。
電車の扉が閉まる。ゆっくりと加速していく中、丈郎は階段の陰に佇 む人物に目を止めた。スマホに視線を落としているが、式原朋彦だ。
「来てたのか」
シキが呟く。
朋彦に見つからなくて良かったと丈郎は思った。見つかっていたら、シキと廃線路を歩けない。
朋彦が車内の丈郎達に気付いた素振りはなかった。徒労感と共に帰宅するのだろう。
朋彦がシキと会おうとするのは、執着とも言えるのだろうか。黙り込んで流れていく景色に目をやるシキの傍らで、丈郎は考える。朋彦はシキを立ち直らせたいという肉親の情愛だけで動いているのではないだろう。シキの父親を死に至らしめたのは朋彦だ。シキに償いたい、許されたいと、願っているのかもしれない。
会いたい。受け入れられたい。離れたくない。それらも欲の一種なのだろう。自分の欲が、相手への思いやりより強くなってしまった状態が、執着かもしれない。
彼女が自死した後、丈郎は誰にも執着されず、執着しない、身軽な孤独を生きている。同居していた祖母が去り、シキも、朋彦がこの町での探索を諦めるのを待つよりここを離れる方を選ぶだろう。ついに一人だ。それを怖いとは思わない。
だったら何が怖い。丈郎は自問する。ひとを怖いと思わないなら、近隣でバイトをしたり、ネットに新しい仲間を探したり、現在とは違う生き方ができるはずだ。
ひとが怖い訳じゃないなんて欺瞞 だ。怖いのは執着だというシキも、誰かと距離が近くなるのを怖れている。結局丈郎もシキも、ひとを怖れている。そして自分自身をも怖れていないか。シキは、妻を失って壊れた父のようになる可能性を、丈郎は自業自得だからと孤立を深めていく自分を。
「安住」
丈郎はシキを見た。シキは外の景色の方を見ていた。
「他人は怖くない。近い人間は、怖い」
シキもひとへの怖れについて考えていたのかと丈郎は思った。
〈近い人間〉が距離なのか血縁なのか不明だが、朋彦を見かけて、彼を避けるのは怖れていると同義だと思ったのかもしれない。亡くなった父の理解し難い振舞いも、怖かったと思い出したのかもしれない。
おれは〈近い人間〉だろうか、丈郎は思った。
「『おれは?』って顔してる」
丈郎を見て、シキが少しだけ笑う。一歳の年の差を感じる表情だった。
「安住のことは好きだよ」
シキが言った。
「でもおれがそう言ったら、怖くないか」
丈郎は動揺した。どういう意味だと考えた。
電車の中、衆目のある場所での立ち話だ。告白という受け取り方は考え難いが、一瞬心が揺らいだ。
呼吸を落ち着けて、シキを見る。ドアの向こう側の端に立って外を眺めている。静かな表情だった。
丈郎が「ひとは怖くない」というのは所詮虚勢だと、シキも気付いたのかもしれない。「好きだよ」が親近感の表明でも、受け入れられずに引いてしまうのか、と。
シキを怖いと思ったことはないが好意は――戸惑いながらシキを見ていて、丈郎は気付く。意味など考えず、感じたことを伝えればいい。今、ここでできることを。
「怖いけど嬉しい」
「怖いが先か」
「そのようだ。怖いと思ったのは――好かれたことが、ないからだ。自分にとって未知のものは怖い。そちらが先立つ。でも素直に嬉しいとも思った」
「理路整然だな」
「自分でも時々馬鹿げてると思う」
意地を張らずに素直になれたら、生きるのはもう少し楽になるだろうと思うが、できないのが自分だと諦めてもいる。
怖いと認めてしまえば、こんな自分をシキが好きだと言ってくれたことが嬉しかった。そしてこんな自分を好きだと言うなんておかしいと、シキを疑わずにいられることも、同じく嬉しかった。
好きじゃなくてもいい。ただこんな自分を、肯定されたかった。頑 なで非情で孤立を受け入れてしまっている自分を。
ひとに近づくのが怖い、その不安は容易に消えてくれないだろう。でも自分達は近づいていると丈郎は思った。互いの連絡先も知らないまま出会いを重ねて、隣にいる。内に隠したものを見せあえないままだが、怖れを認めあえる程には、今朝より、距離は縮まっている。別離が近づいていても。
「怖いままでいいのかもしれない」
シキが不意に言った。
「怖いを上回る何かがあれば。――親父は母さんを失う怖さやつらさに呑まれたけど、別の強い気持ちを持てたら、ああならなかったかもしれない。弱いままでも」
怖れを抱えている弱い自分を自覚しながら。乗り越えられないのではと思いながら。迷いながら。
丈郎はためらってから、言った。
「言われた直後よりは、怖いを嬉しいが上回ってる」
丈郎を振り返り、シキは微笑んだ。
地方の路線で、線路は単線と複線が交じり、電車は複線の駅で行き違う。複線の駅はひとつ向こうの駅で、下りの到着時には上りの電車が停車している。この駅で電車の到着後もホームに残るのは、数分後の上りを待つ人々だった。
電車の扉が閉まる。ゆっくりと加速していく中、丈郎は階段の陰に
「来てたのか」
シキが呟く。
朋彦に見つからなくて良かったと丈郎は思った。見つかっていたら、シキと廃線路を歩けない。
朋彦が車内の丈郎達に気付いた素振りはなかった。徒労感と共に帰宅するのだろう。
朋彦がシキと会おうとするのは、執着とも言えるのだろうか。黙り込んで流れていく景色に目をやるシキの傍らで、丈郎は考える。朋彦はシキを立ち直らせたいという肉親の情愛だけで動いているのではないだろう。シキの父親を死に至らしめたのは朋彦だ。シキに償いたい、許されたいと、願っているのかもしれない。
会いたい。受け入れられたい。離れたくない。それらも欲の一種なのだろう。自分の欲が、相手への思いやりより強くなってしまった状態が、執着かもしれない。
彼女が自死した後、丈郎は誰にも執着されず、執着しない、身軽な孤独を生きている。同居していた祖母が去り、シキも、朋彦がこの町での探索を諦めるのを待つよりここを離れる方を選ぶだろう。ついに一人だ。それを怖いとは思わない。
だったら何が怖い。丈郎は自問する。ひとを怖いと思わないなら、近隣でバイトをしたり、ネットに新しい仲間を探したり、現在とは違う生き方ができるはずだ。
ひとが怖い訳じゃないなんて
「安住」
丈郎はシキを見た。シキは外の景色の方を見ていた。
「他人は怖くない。近い人間は、怖い」
シキもひとへの怖れについて考えていたのかと丈郎は思った。
〈近い人間〉が距離なのか血縁なのか不明だが、朋彦を見かけて、彼を避けるのは怖れていると同義だと思ったのかもしれない。亡くなった父の理解し難い振舞いも、怖かったと思い出したのかもしれない。
おれは〈近い人間〉だろうか、丈郎は思った。
「『おれは?』って顔してる」
丈郎を見て、シキが少しだけ笑う。一歳の年の差を感じる表情だった。
「安住のことは好きだよ」
シキが言った。
「でもおれがそう言ったら、怖くないか」
丈郎は動揺した。どういう意味だと考えた。
電車の中、衆目のある場所での立ち話だ。告白という受け取り方は考え難いが、一瞬心が揺らいだ。
呼吸を落ち着けて、シキを見る。ドアの向こう側の端に立って外を眺めている。静かな表情だった。
丈郎が「ひとは怖くない」というのは所詮虚勢だと、シキも気付いたのかもしれない。「好きだよ」が親近感の表明でも、受け入れられずに引いてしまうのか、と。
シキを怖いと思ったことはないが好意は――戸惑いながらシキを見ていて、丈郎は気付く。意味など考えず、感じたことを伝えればいい。今、ここでできることを。
「怖いけど嬉しい」
「怖いが先か」
「そのようだ。怖いと思ったのは――好かれたことが、ないからだ。自分にとって未知のものは怖い。そちらが先立つ。でも素直に嬉しいとも思った」
「理路整然だな」
「自分でも時々馬鹿げてると思う」
意地を張らずに素直になれたら、生きるのはもう少し楽になるだろうと思うが、できないのが自分だと諦めてもいる。
怖いと認めてしまえば、こんな自分をシキが好きだと言ってくれたことが嬉しかった。そしてこんな自分を好きだと言うなんておかしいと、シキを疑わずにいられることも、同じく嬉しかった。
好きじゃなくてもいい。ただこんな自分を、肯定されたかった。
ひとに近づくのが怖い、その不安は容易に消えてくれないだろう。でも自分達は近づいていると丈郎は思った。互いの連絡先も知らないまま出会いを重ねて、隣にいる。内に隠したものを見せあえないままだが、怖れを認めあえる程には、今朝より、距離は縮まっている。別離が近づいていても。
「怖いままでいいのかもしれない」
シキが不意に言った。
「怖いを上回る何かがあれば。――親父は母さんを失う怖さやつらさに呑まれたけど、別の強い気持ちを持てたら、ああならなかったかもしれない。弱いままでも」
怖れを抱えている弱い自分を自覚しながら。乗り越えられないのではと思いながら。迷いながら。
丈郎はためらってから、言った。
「言われた直後よりは、怖いを嬉しいが上回ってる」
丈郎を振り返り、シキは微笑んだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)
(ログインが必要です)