第8話②

文字数 916文字

 詩乃と会った日の夜、丈郎は久しぶりに母と連絡を取った。
 井上幸菜さんが亡くなったという連絡があった、と嘘をついた。母の素っ気ない反応を聞き(とが)めた振りをして、丈郎は母と井上幸菜の間にあったことを、(うま)く聞き出した。
 菜月の父親の推察通り、金銭トラブルだった。
「結婚したかったみたい。婚約者に、借金があるのを知られたくなくて、知り合いを片っ端から(だま)してお金をつくって、それでカード会社とかの借金を精算したらしい」
「馬鹿げてる」
「それがわからない人もいる。(ひん)すれば(どん)すといって、わかっていたはずなのに、わからなくなってしまう人もいる。彼女がどっちだったのかは、わからない」
「結局、返してもらえなかったの」
「最後に話した時、返せない、返す気もないと、直感的にわかった。――(つい)に、踏み倒されちゃったか」
 母が井上幸菜に葉書を出したタイミングに見当が付いた。母は井上幸菜と絶縁し、彼女が結婚にこぎつけて五百倉幸菜になったことも、借金トラブルが祟って離婚し、とうに亡くなっていることも知らないと察しがついた。
 丈郎はついでを装い、母に尋ねた。
「前から一度聞いてみたかったんだけど。入籍したのがおれが産まれる二ヶ月前って、どういう事情で、ああなったの」
「入籍した日は、丈のお父さんの誕生日の、一日後。……向こうのご両親に結婚は許さないと言われて。『僕は(あき)ちゃん達と新しく生まれ直すんだ、その日を新しい誕生日と記念日にしたい』って」
「一日違いにこだわらなくても、キリが良い日とかでよくない?」
「確か、私もそう言った。でも親より私を取ってくれたんだから好きにさせてあげようと思って」
「――変な人だったんだね」
「変なところがあった、人だった」
 丈郎は母との電話を終えると、両親の子ではないのではと(わず)かでも疑ったことを、心の中で謝罪した。
 菜月の虚構は、ありえない、頭のおかしい人間の妄想だと否定しながら、心の奥底に怯えがあった。数少ない父の写真を見返して自分との相似を探し、あまり似ていないことに落胆し、密かに怯えを募らせた。
 菜月と異母兄妹かもしれないと、もう怖れなくていい。あれは丈郎の母を騙して借金を踏み倒した女の娘だっただけだ。何の関係もない。 
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