第17話

文字数 1,281文字

 電車が谷を抜けて山を越えると曇天(どんてん)が広がっていた。
 暗い雲が空を覆っている。出発前に確認した天気予報通り、夕立が来るかもしれない。荒天下での葬儀にならなければいいがと丈郎は案じた。
 理香がとうとう逝ってしまった。胸に虚ろな穴があいたのを感じながら、シキに会えるはずだという期待も、同じ胸に灯火のように生まれていた。理香の葬送で再会したくなかったと思いながらも、理香が引き合わせてくれるようにも思う。勝手なものだ。
 シキは今年二十歳になる。最後に会った時、丈郎より少し背が低くて細身だったが、変わりないだろうか。春に届いた葉書で初めて弱音を吐いていたが、どうしているだろう。予期されていた事とはいえ理香の死に、打ちひしがれているのではないか。
 二年でたった四通だが便りをくれたのだから、縁を切りたいとは思われていないようだし、忘れられてもいない。だが一方通行の短い文面からシキの心情は汲めなかった。自然消滅的に途絶えてしまうかもしれない、それをシキが望むなら仕方ないと思ってきた。
 丈郎はシキと出会った頃の「もう会わない方がいい」という思いが(くすぶ)るのを感じる。
 シキは息災(そくさい)だと伝える以上の関係を望んでいないのではないか。理香の葬儀で丈郎と顔を合わせるのは不本意だが仕方ないと割り切る(たぐい)のことで、理香の親族という立場だけで丈郎と接したいかもしれない。
 シキにつれなくされても、四通の葉書が寄宿や理香との関わりの義理で投函されていたものだとしても、受け入れるしかない。
 シキが丈郎の家を出た日。
 夜半から降り始めた雨は、夜が明けて雲が薄くなってもまだ残っていた。
 「見送りはいい。雨だし」、そう言うシキを玄関で見送ろうとした丈郎は、衝動的に裸足で三和土(たたき)に下りた。
 だがシキまで一歩の距離で足が止まった。シキが丈郎を見ていた。神社で貸した傘を返してもらいに駅の改札前で待ち合わせた日、肩に触れた丈郎を振り払った時と同じ目だった。
 丈郎は無意識に伸ばしていた手を下ろした。どうしたかったのか丈郎にもわからない。握手でもしたかったのか抱きしめたかったのか――少しでも触れたかった衝動があったのは確かだ。でもシキに触れてはいけなかった。肩を掴むのでなくても。それを思い知った。
 シキは視線をそらせてうつむいた。そのまま戸を開けた。
 嫌いだと言っていた小雨の中を、シキが引いていた線を踏み越えてしまった丈郎を置き去りにして、シキは傘も差さずに出て行った。
 「元気で」「待っているから」。別れ際の言葉を何ひとつ言えなかった。
 最初の葉書が届いた時は安堵したが、次第にシキとはこのまま疎遠になってしまうだろうと思えてきた。少しの間住処(すみか)を提供できただけ、他に何もできなかった。穏やかに見送れなかった後悔が日毎(ひごと)に重くなった。
 理香の葬儀に参列する。シキに会う。そしてシキがもう全て終わりにしたいというあの静かな目をしていないと確かめられたら、帰ろう。
 いつかシキの流浪を止められる誰かが現れるといい。この二年の間に現れたかもしれない。
 丈郎には待つ自由だけは残る。それが分相応なのだろう。

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