第8話①
文字数 1,173文字
丈郎は詩乃と自宅前で別れた。去り際、お手数だけど供えた花を、期を見て処分して下さいと頼まれ承諾した。
家に入り、台所でコーヒーを淹れる用意をしながら、丈郎は自分の言動や振る舞いを、そして五百倉詩乃のそれを思い返す。
自信なさげな人だった。年長者らしい言葉遣いと敬語が入り交じる、不安定な話し方。「主人」と夫を言い表すのは個人的に好まない。菜月が詩乃を嫌っていたのも得心がいき、詩乃が菜月を持て余していただろうことも推察できる。
菜月が自死した直後から予期していたが、家族宛の遺書はやはりあったかと丈郎は溜め息をつく。菜月が嵌 まった虚構を詩乃は把握していた。最初に分厚い封書を寄越してきた菜月だから、遺書も相当長文だったのではないか。丈郎への恨みつらみも書いていたかもしれない。
もう、どうでもいいことだ。菜月のことは忘れて下さいと言うのだから、この先五百倉家の人間と関わることはないだろう。
「忘れない」と言ったのは、きれいごとが過ぎたかもしれない。丈郎は思い返す。
そんな善人じゃない。ひとでなしのままだ。「忘れない」と詩乃の前で言ったのは、そうでもしないと忘れてしまうからだ。
忘れたいが忘れられない、菜月が自死して一年位はそうだった。何かにつけて思い起こした。ひきこもり、刺激の少ない生活を送っていたから尚更だ。
だがあの神社が象徴しているように、シキとの思い出が上書きされていき、時が経ち、菜月は遠くなり薄くなる。生々しい記憶は取り出せなくなり、消えそうで消えない影になっていく。繋 ぎ止めておきたいとは思わない。遠ざかるに任せる。
でも自分のせいでひとが死んだ、自分は人殺しだということまで忘れてしまう訳にはいかない。こんな自分でも受け入れてくれたシキを裏切れない。
詩乃は「あなたのせいではない。菜月のことは忘れて下さい」という言葉を受け入れて欲しかっただろうなと、丈郎は思う。多分詩乃は、その方が楽になれる。丈郎が返した言葉で、詩乃は傷ついたかもしれない。あなたの責任ではない、忘れていい――それは詩乃が欲しい言葉だ、そんな気がした。菜月の、ひとの迷惑を顧みない性格は育て方に問題があったのだと家族を非難する気持ちを持っていたが、詩乃のかぼそい佇 まいを思い起こすと、苦労したのでは同情すら感じる。
この家にいた頃、シキが言った。
「背負っていくしか、ないんじゃないか」
シキは自分の父親と叔父のことを思いながらそう言ったのだろうが、丈郎にもその言葉は響いた。それを心に刻んでしまったから、詩乃が荷を下ろせないようなことを言ってしまった。
自分が菜月と、菜月の遺族と真摯 に向き合っていないと丈郎は自覚する。忘れないと踏みとどまろうとするのは、後悔や菜月への供養、遺族への誠意ではなく、ひとでなしにはなれないから。その理由はシキだからだ。
家に入り、台所でコーヒーを淹れる用意をしながら、丈郎は自分の言動や振る舞いを、そして五百倉詩乃のそれを思い返す。
自信なさげな人だった。年長者らしい言葉遣いと敬語が入り交じる、不安定な話し方。「主人」と夫を言い表すのは個人的に好まない。菜月が詩乃を嫌っていたのも得心がいき、詩乃が菜月を持て余していただろうことも推察できる。
菜月が自死した直後から予期していたが、家族宛の遺書はやはりあったかと丈郎は溜め息をつく。菜月が
もう、どうでもいいことだ。菜月のことは忘れて下さいと言うのだから、この先五百倉家の人間と関わることはないだろう。
「忘れない」と言ったのは、きれいごとが過ぎたかもしれない。丈郎は思い返す。
そんな善人じゃない。ひとでなしのままだ。「忘れない」と詩乃の前で言ったのは、そうでもしないと忘れてしまうからだ。
忘れたいが忘れられない、菜月が自死して一年位はそうだった。何かにつけて思い起こした。ひきこもり、刺激の少ない生活を送っていたから尚更だ。
だがあの神社が象徴しているように、シキとの思い出が上書きされていき、時が経ち、菜月は遠くなり薄くなる。生々しい記憶は取り出せなくなり、消えそうで消えない影になっていく。
でも自分のせいでひとが死んだ、自分は人殺しだということまで忘れてしまう訳にはいかない。こんな自分でも受け入れてくれたシキを裏切れない。
詩乃は「あなたのせいではない。菜月のことは忘れて下さい」という言葉を受け入れて欲しかっただろうなと、丈郎は思う。多分詩乃は、その方が楽になれる。丈郎が返した言葉で、詩乃は傷ついたかもしれない。あなたの責任ではない、忘れていい――それは詩乃が欲しい言葉だ、そんな気がした。菜月の、ひとの迷惑を顧みない性格は育て方に問題があったのだと家族を非難する気持ちを持っていたが、詩乃のかぼそい
この家にいた頃、シキが言った。
「背負っていくしか、ないんじゃないか」
シキは自分の父親と叔父のことを思いながらそう言ったのだろうが、丈郎にもその言葉は響いた。それを心に刻んでしまったから、詩乃が荷を下ろせないようなことを言ってしまった。
自分が菜月と、菜月の遺族と
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