第16話

文字数 1,299文字

 シキとの二度目の廃線路跡行きを、丈郎はよく思い返す。
 最寄り駅を出た時はまだ明るかったが、山の夕暮れは早かった。陽が傾くと樹々は急速に闇を宿し、外灯のない山道を途中で引き返すことにした。黄昏の森の中を黙々と歩きながら、シキは何度か立ち止まった。丈郎は無言でシキを待った。最後の来訪になるかもしれない気に入った場所を記憶しようとしているとしか思えなかった。
 駅に戻った頃には空は暗くなっていた。無人の駅で次の電車を待った。水筒のコーヒーを飲み干し、自販機の缶コーヒーを買って「缶コーヒーってこんなに甘くて水っぽかったか」と笑いあった。そして話した。
 シキが町を出ると決めたから持てた時間だと理解していた。身近な相手に相談するより通りすがりの相手にふと本音を()らすようなものだと。夜を迎える駅で、丈郎とシキはまだその位置にいた。
 シキの負担にならないように距離を取ろうとする気持ちは、いつの間にか消えていた。手を伸ばせば届きそうだった。もう(うつ)ろで誰の好意にも値しない人間じゃない、そう思えた。このまま怖れもためらいもなくしてしまえるような、魔法に掛けられたような夜の時間だった。
 電車に乗り、暗闇を抜けて町へ戻っていくと、二人共現実に立ち返っていくしかなかった。コンビニで夕食を買い、帰路につく夜道の沈黙は、夕闇に包まれていく森の中の沈黙と同じではなかった。
 シキとの別離は避けられないと丈郎は受け止めていた。シキが言う「怖れを上回る何か」を、二人共持っていなかった。引き止められず、とどまれない。
 翌朝からシキが去った日まで再び淡々と過ごした。
 だが丈郎は何気ない日常に微妙な距離感が生じたと薄々感づいていた。丈郎は意味を考えるのをやめて答えたが、シキは何かを考えているように見えた。どうすればいいのかわからないのがもどかしかった。
 「安住のことは好きだよ。でもおれがそう言ったら、怖くないか」。――あの時シキは何を試そうとしていたのだろう。本心ではどんな答えを望んでいたのか。
 シキが好きだと言ってくれるなら、何も怖くない。今の丈郎ならそう言える。だがまっすぐな強さでは、シキの弱さ(もろ)さを支えられないのは、朋彦を見ればわかる。「怖い」と認めたからシキは微笑んでくれた。あの夜があった。
 朋彦がシキに会いたがるのは、逃げるから追いかけて理由を問い(ただ)したくなる面もあるだろう。追いつめるつもりがなくても、詰め寄る側の「何故」には容赦(ようしゃ)がない。朋彦が近づこうとする以上の力でシキが逃げようとするのは、シキ自身にもどうしようもないのだろうと丈郎は考えている。「心の準備ができてない」以外の理由。シキは後ろから肩を掴まれると反射的に振り払う、あれと同じだ。過去の何かと結びついて、まだ説明されていないもの。
 「あの二人は何か隠してる」。理香は、シキが父親の明に刺され、朋彦が明を刺殺した事件についてそう言った。
 あの夜にも語られなかった、シキが朋彦を避ける理由。
 あの場にいた人間しか知らないこと。
 それらを知らなければシキが逃げるのを止めることはできない。
 丈郎がそう結論付けたのは、シキが去った後だった。
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