第2話

文字数 1,457文字

 梅雨入りから数日。曇り空、湿った空気、晴れ間の初夏の気配。雨音が聞こえる度にまた雨かと思う、やがて雨がやむ時の訪れを期待することさえ忘れていく。
 丈郎は神社で出会った元同級生を忘れられずにいたが、名は思い出せないままだった。転入生が挨拶する儀式もなく担任から一言あっただけで教室に紛れ込んだから印象も薄い。シキの方も、出席番号一番でなかったら丈郎を記憶してなかっただろう。
 シキに再会したのは、翌週の金曜日の夕方だった。
 雨は止んでいた。
 丈郎が県道の歩道を歩いていると、道沿いに建つ工場の門から次々と人が出てきた。終業直後なのだろう。
 丈郎は立ち止まった。門から出てきたばかりの相手も同時に立ち止まる。「あ」と口が動き、シキは微笑んだ。
「この間は、傘をありがとう」
「ここで働いてるのか」
 シキは頷いて工場を振り返った。奥行きのある四角い建物、グレイの壁、巨大な搬入口。
 働いてるのか、と丈郎は思った。事情があるのだろうが、立ち入ったことを尋ねるのは気が(とが)めた。丈郎はシキと並んで歩き始めた。
 先に口を開いたのはシキだった。
「傘、返すよ。明日にでも神社に持っていく。都合は」
「返さなくてもいいよ」
 家はどの辺りだ、と尋ねるとシキは駅の南口から十五分ほど歩く、と答えた。丈郎の家がある神社が建つ小山は、駅から北へ徒歩約二十分、反対側だ。あの日は随分遠出していたんだなと、軽く言えなかった。
「安住は、高卒の資格取るのか」
 シキが唐突に言った。
「そのつもりだ」
「そうか。高認じゃないんだ」
「単位制を考えてる」
「いろいろあるんだな」
 丈郎は歩きながら、高卒資格を取る方法の話をした。定時制がある高校は最寄でもT高だと言うと、シキは「遠いのか」と言い、丈郎はシキが最近県外から来た人間だと確信した。T高は祖父母世代は二高と呼ぶ伝統校で、進学校だ。
「電車で二十分、駅から徒歩二、三十分じゃないかな」
「それ疲れるな」
「自分にとっての優先事項と利点を考えて、どの手段で高卒資格取るか決めればいいと思う」
「安住は、全日制の高校に通って集団で学ぶ利点を見つけられなかったのか」
「――利点は、あると思う。でも差し引きすると大きなマイナスになると思った」
「それ一年の春休みに気付けなかったのか」
「薄々気付いてはいたが、決断できたのが、二年生の教室に入った時だった」
「ここに自分の居場所はない、とでも思ったか」
「少し違うな」
「そうだな。居場所はない、と思ったらそれまでだ。元々学校には自分のための場所なんかない。居られないか、居たくないかで、やめる頃にはその両方になってる」
「……どっちが先だった」
「どっちだろう」
「二週間頑張ったんだろう。何のために」
「何のためだろう。――普通の高校生に戻れる可能性のためかな。でもだめだった。教室に居ていい人間のように振舞うことへの違和感が消せなかった。居続けられる場所じゃない、と」
 シキは何かで自分を責めているのかと丈郎は思った。
 あの雨の日のシキは儚げに見えた。だが「居場所はないと思ったらそれまでだ」と言った時の眼と口調には、何かを越えてきた人間の強さを感じる。でも教室にはとどまれなかった。
 シキが空を見上げた。
「また雨かな」
「梅雨だからな。おれも雨は嫌いだ」
「雨が嫌いって、どうしてわかった?」
「何となく」
「小降りの雨が、厭なんだ」
「同じだ」
「耳を澄ませると雨音がきこえるような雨」
「降り止む気配がみえない単調な雨」
「いつまでも降るような気がしてくる」
「雨に閉じ込められている気がするんだ」
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