第4話⑤

文字数 2,022文字

 甘えていた。優以はそう振り返る。
 あの事件の後、何て言えばいいのかわからないからという(ふざ)けた理由で、優以は傍観者側に加わった。自分は味方だと伝えることすらしなかった。
 高を(くく)っていた。親戚という絆があり、幼なじみだ。同じ高校にいて直に丈郎を排除した連中とは一線を画していると、勝手に思い込んでいた。ほとぼりが冷めれば、何もなかったような顔でいつか会えると。
 丈郎は元々友達が少なかった。ケータイを解約し地域で孤立して孤独なのだから、優以が以前のように接しさえすれば、関係は修復できるはずだった。
 その上から目線も甘い見通しも、丈郎が新しい仲間と出掛けるところを目撃した途端、否定され崩れ去った。そして夏に出会った時、丈郎は優以が無視して行き過ぎるものと決めてかかり、呼び止めようとすらしなかった。私はそんなに信用なかったのか――優以はその逆上を抑えられなかった。
 密かに好きだった。丈郎のことが。近すぎて届かないとわかっていたから、優以は丈郎とは別の高校に進学した。その淡い想いも、優以は中途半端に引きずるだけで真剣に向き合わなかった。
 丈郎がD高の女生徒につきまとわれていると知って、そんなおかしな女とどうかなる程丈郎は馬鹿ではないと思いながら、もしそうなったら自分がどれ程幻滅しがっかりするか、不安になった。だから相談に乗ろうと働きかけられなかった。
 あの事件の後、丈郎に近づくのをためらったのは、何と言えばいいのかわからなかったから。――下手なことを言って嫌われたくない。丈郎を励まして、人が死んだのに何とも思ってないのかと思われるのも怖い。
 何もなかったように登校していると聞いて、丈郎の冷淡な面を知って薄ら寒いものを感じた。
 丈郎とつながろうとする言葉を探す前の段階で、優以は挫折していた。自分に甘いばかりで、丈郎のために何ひとつしなかった。
 丈郎がいつの間にか知らない男と親しくなっていたことに、自覚はなかったが動揺していたのだろう。丈郎と二人だけで電車に乗って出掛けたこともなかった。「彼氏?」と暴言を吐いたのはそれを引きずっていたからだと優以は思う。待ち合わせ相手の端整な顔立ちは今も記憶に残っている。
 初恋は自らの手で砕いてしまった。丈郎との関係がこの先どうなるか不明だが、親戚という縁は残っている。慶事弔事で顔を合わせる機会はある、何年かすれば自分も大人になってまともな対応ができるだろうから、修復の望みは零ではないと、あの頃優以は自分に言い聞かせた。
 そんな機会は来ないかもしれないと、今の優以は思う。安住家は一家離散状態だ。正月すら実家に誰も戻らない。
「子供はいずれ自立するし、親離れ子離れは当たり前だと思ってたけど。ああはなりたくない」
 姉の季紗はそう言う。丈郎の母は再婚して別の家庭を持って以来、寄りつかない。母の妹、丈郎の叔母は介護職に就いているとかで、多忙を理由に帰省しないと、丈郎の祖母が以前(こぼ)していた。地元にいた頃から遊び人だった丈郎の叔父は、今もどこかで遊興に忙しいのだろう。その叔父が腕を骨折した際、丈郎の祖母は不自由だろうから世話しに行くと家を出たきり、見かけない。今も向こうにいるのだろう。
 丈郎に背を向ける方向に腰掛けて、優以は反射的にスマホを取り出してから、手を止める。
 丈郎に「久しぶり。何処行くんだ?」と声を掛けられる状況だと気付く。実行に移すかと自問すれば、答えは否だ。その後会話を続けられる気がしない。諸橋家の近況を話す位しか話題が浮かばないが、安住家の「何もない」の重さに、優以は沈黙するしかないだろう。丈郎に「あれからどうしてた」を問うのは怖すぎる。その重さを受け止められると思えない。
 おまえ全然変わってないな。優以はスマホに写る自分の顔を見る。甘ったれたびびりの最低な奴。
 スマホから顔を上げて車窓の景色を見る。雑木林が延々続いている。時折杉の植林が現れ、また雑木林に戻る。同じ景色を丈郎も見ている。何処へ行くのだろう。
 丈郎が孤独に見えるからといって孤独だとは限らない。駅の男と続いているかもしれないし、非リア充なだけかもしれない。一軒家の一人暮らしも気楽に満喫してるかもしれない。
 何にしても、私の場所はないんだろ。優以は胸の内で呟く。
 一人でいたいなら、いればいい。丈郎が大変だった時におろおろするばかりで何もしなかった私も悪いけど、何で頼ってくれなかったんだ。スマホ解約するなんてありえない。無責任な連中が適当なこと書き連ねてるのを見るのが嫌なら見なきゃいい。電源切って放置しておけばいい。極端なんだよ丈郎は。何で私達ごと切り捨てるんだ。
 あの夏の坂道で吐くべき罵倒はこっちだったなと、優以は思う。
 これをぶちまけていたら。丈郎は黙って聞いた後、多分「そうだな」と言ってくれただろう。丈郎は冷静で理屈屋で頑固でかわいげがない。
 好きだった。優以はスマホに視線を落とした。

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