第4話③

文字数 1,292文字

 桜が満開の頃、季紗が母と話しているのが聴こえた。
「さっき丈ちゃんに会った」
「元気だった?」
「うん。何してるのって声掛けたら『散歩』って言うから、花見じゃないんだ?って言ったら、『桜を見にきた訳じゃないんだ』って」
「丈ちゃんて子供の頃から、理屈っぽいところあるよね」
「だよね。――おばあちゃんが、ひきこもりっていうのは部屋に閉じこもってるか家から一歩も出ない人だと思い込んでるのがわかって、毎日外出することにした、って言ってた。少しは安心するだろうから、って」
「気遣ってるんだね」
「遣い過ぎだと思うけどね私は。好きにすればいいのに」
 母の姉の会話は別の話題に移り、丈郎のことはそれきりだった。
 丈郎は外出していると優以は知った。外へ出てくるなら、偶然を装って会う機会を作れるかもしれない。
 小山の上の安住家を訪ねていくのは気が乗らなかった。会いに行っても何を話せばいいのかわからない。だが路上で出会えば「久しぶり」と声を掛けて、反応を見ながら、話せる気がする。
 だが優以の思惑通りにはいかなかった。桜の季節が終わるまで、暗くなるまで自転車で町中をうろうろしてみたが、見かけなかった。丈郎があのまま高校に通わなくなったのか尋ねられる顔見知りとも出会わなかった。
 こんなことをしているより家に行ってみた方が、何度かそう思った。だが今更会いに行ったって、と思うと気が()えた。新学期が始まり二年生になると学校のことで気忙(きぜわ)しくなり、丈郎のことはしばらく意識に上らなかった。
 六月、梅雨入りの後。優以は駅に向かっていた。遠方の映画館へ行き、午前中の上映を見て早めに戻るつもりだった。
 駅舎が見えてきた頃に、前を歩いている丈郎に気付いた。出掛けるのか。声を掛けるか。「久しぶり」と言って、「今から映画観に行くんだけど」と誘ってみるか。話し掛ければ、きっかけは(つか)める。
 丈郎に追いつこうと足を速める前に、改札前にいた人待ちらしい男が、丈郎の前に出てきた。二人はそのまま改札をくぐり、ホームに向かった。
 あの男は誰だ。優以はICカードにチャージしながら考えた。小中学校とも一学年二クラスしかない地域だ、同じ学校の人間の顔は自然と記憶に残る。見覚えがないということは地元の人間ではない。高校で知り合ったのか。丈郎は周囲と和解していたのか。
 改札前で、優以は電車が到着し、発車していく音を聞いていた。改札を出てきた人は少なく、優以は無人になった改札を通りホームに出た。丈郎とその連れの姿はない。おいおい何処へ行ったんだよ、優以は心の中で呟く。下りに乗ったのか、行く手は山しかない、まさか男二人でハイキングか。
 スマホを取り出して「丈郎を見かけた」とつぶやいた。
「丈郎は退学済み。てか、今何時だと思ってんだ」
 丈郎は話題にしたくないと暗示する知人に無難な返答をしながら、優以は上りの電車を待った。さめた気分だった。
 丈郎はもう高校にいない。スマホもつながらない。同居の祖母に気を遣いながらひきこもり生活を続けていると思っていたが、別の世界を持っていた。一緒に出歩く、今の丈郎と共にいるのが平気な人間がいる。 
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