第6話

文字数 1,809文字

 彼女の遺体が発見された翌々日。丈郎を遠縁の諸橋季紗が訪ねてきた。
 季紗は「久しぶりだね」と、普段通りの口調で言った。
「うちの馬鹿、母さんが『これさすがにまずくない?』って、真顔で言うような成績表持って帰ってきた。無理して入ったって、ついていけなくなるからやめとけって、あれだけ言ったのに」
「優以、そんなにまずいの」
「母さんに、留年を覚悟しなと言うのをこらえたくらい」
 それから季紗は「大変だったね」と言った。
 そしてスマホを取り出し、丈郎に見せた。
「あの子の実家の住所。D高で事務のバイトやってる知り合いに頼んだ」
「――行った方が、いいよね」
「つらいだろうけど、今、行った方がいい。今じゃなきゃ動けなくなると思う」
「動けなくなる、か」
「……私の知り合いでね。車で、十代の女の子はねちゃった人がいた。横断歩道の無い所を渡ろうとしてたのに気付くのが遅れて、向こうも悪いんだけど、怖くなって逃げてしまって、現場に戻って捕まった。その後も怖がって、一度も見舞いに行けなかった。示談交渉がうまくかなくて、裁判になって『誠意がない』って言われた。……気が弱いだけで、悪い人間ではないんだけど」
「自分を悪人だと思ってなかったけど。したことは悲惨で、誠意がない」
「そういうことを言いたいんじゃなかったの。ごめん。――もっと現実的な話。誠意を見せとくって大事なの。解釈は、結局後なの。相手がどう受け取るかも、誰にもわからない」
「とりあえず謝っとけ、そう聞こえる」
「それが今の丈ちゃんの解釈。後で変わるかもしれない。
 行くか、行かないか、どちらの結果を残しておく方が後悔が少なくて済むか、それをよく考えて。行くなら、車出す」
「それはいい」
「一人で行かせられないよ。私は、愚妹たちと違って、頼りになるよ」


 翌日、季紗の運転で、彼女の実家へ向かった。
 実家に近い有料駐車場に車を停め、地図アプリを見ながらたどり着いた家を、表札で確認できた。丈郎達の地元では当然の「忌中」の張り紙はなく、葬儀を準備している様子もなかった。季紗が「豪邸だね」と(ささ)いた。
 インターホンを押すと、ドアが開いて四十代半ばに見える女性が門前にやって来た。喪服ではなく普段着のような姿だった。
「安住といいます。菜月さんに、手を合わせさせて頂きたくて、来ました」
 彼女は丈郎を見つめた。「安住」の名が、菜月にとってどんな意味があったか、彼女が承知していたかどうか結局わからない。彼女が菜月の継母だったのか、居合わせた身内だったのかもわからなかった。
「ありがとうございます。でも葬儀は、身内だけで()り行います。わざわざ来ていただいて申し訳ありませんが、お引き取り下さい」
 彼女は深々と一礼した。もう何度も繰り返している言葉なのだろうと想像がついた。渡そうとした香典袋も「お断りしておりますので」と謝絶された。
 冷たい風の中を駐車場へ歩きながら、季紗が言った。
「身内だけの密葬にするんだろうね」
 葬式もなく密かに葬られることを丈郎は考える。遺体は少数の人間にしか見られない。高い祭壇も大きな遺影もあふれる花もない。ひっそりと、焼かれるまでの時間が過ぎていく。参列者は、見届ける義務がある者だけで、義理でいる者はいない。静寂の中で、この世から消えていく。
 彼女の去り方はそれでいい、丈郎は思った。丈郎自身の場合なら、もっとシンプルでいい。焼かれて骨を合祀墓に放り込まれるだけで十分だ。いなかったように消えたい。
 でも彼女の希望は違っただろう、丈郎はそう思う。立派な葬儀を執り行われ、大勢の参列者に弔問を受け、惜しまれて見送られたかったのではないか。最後くらい私を見て、悲しんで、と望むのではないか。
「季紗ちゃん。おれが死んだ時も、密葬でいい。いや、誰も来なくていい」
「直葬がいいってこと?」
「直葬?」
「お通夜も告別式もしないで火葬場に直行」
「それがいい」
「覚えとくけど、でも私はお別れに行くから。生きていたら必ず。先に死んでても」
「死んでても」
 それは怖いと思ったが、怖がる主体の自分もその時は死者だ。気にならないだろう。
 自身の葬送の場に誰もいなかったとしても、死者にはわからないと丈郎は思い直す。死に至り、五感と意識を全て失った存在。
 彼女はもう丈郎のことを考えていない。追いかけて来ない、あの神社で待っていない。
 解放されたと思ってはいけないのだろうが、それが実感だった。
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