第9話

文字数 1,346文字

 五百倉詩乃の来訪から三日後の夕方、丈郎は供花を回収しに神社へ向かった。
 花束は林に囲まれた建物の陰に置かれていたが、(しお)れて見る影もなかった。持ち上げると百合の花弁が散らばった。丈郎は花束の痕跡を消すようにそれらを拾い集めた。
 この場所で、詩乃が何を思いどんな祈りを捧げたか、他人にはわからない。菜月が輪にした綱に首を差し入れながら、何を考えていたのかも。
 わかりたいと思わない――丈郎は今も菜月を拒んでいる自分に気付く。
 菜月がどういう人間だったのか、知りたいと思わない。
 五百倉詩乃が来ると(あらかじ)め知らされていたのに、丈郎はこの神社へ詩乃を案内し、彼女の言葉を聞き、少ししか話さないまま、見送った。菜月がどうしてあんな風だったのか、折り合いが悪かったという家族とはどんな関係だったのか、訊かなかった。
 菜月に関心がないから、尋ねることを思いつかなかった。
 彼女は、突然丈郎の前に現れて日常に割り込み、自らの作り上げた虚構の受け入れを強要し、丈郎に拒まれて自死した。
 その背景に、家族に疎まれ、菜月もそんな家族を嫌った、孤独があるだろうことは、彼女が寄越した手紙や言動から察しはついた。だからといってそのとばっちりは真っ平だと、丈郎は思っていた。彼女の孤独など知ったことではなかった。いなくなってほしかった。
 彼女の生い立ちに、彼女が語る以外の何があったのか、継母の詩乃に話を聞く機会を逸した。そのことに気付くのに三日も掛かっている。
 自分の非情さ思いやりのなさに暗然とする。だがその中に彼女への謝罪は含まれていないことに気付かざるを得ない。自分しかいない静かで小さな世界では、丈郎は菜月を拒み続けている。それの何がいけないと思っている。
 丈郎は乾いて軽くなった花束を手に歩き出しながら、小さな世界から、菜月に話し掛ける。
 思いやりのなさでは、お互い様だった。おれはあんたの孤独を、あんたはおれの憂鬱を、わかろうとしなかった。結局似た者同士だった。
 忘れない、それじゃだめか。あんたを、いなかったことにはしない。「僕の人生の一部ですから」、あれはきれいな言い方過ぎたと思うが、自分の人生から消し去ろうとはしない。あんたを受け入れることはなくても、自分に責任があることを認め続ける。それじゃだめか。
 丈郎は林の中の道を抜けて路上に出る。吹き抜ける秋風に花束がカサカサと音を立てる。白い花を基調にした、立派だが清楚な印象だった、詩乃が持参した花束。
 菜月があの花束を見ていたら、どう感じただろう。きれい、嬉しいと思ったのか。どんなに美しい花束でも、詩乃が贈り主というだけで拒んだか。百合とトルコ桔梗より、百本のカーネーションや、一輪の薔薇(ばら)を、喜んだか。
 知らないし、知ろうとしなかった。
 だからだめなんだろう、丈郎は思う。
 忘れないでいる。それは最低限のことでしかない。
 避けられた彼女の自死を後悔し、彼女の死を(いた)み、彼女がどんな人間だったか知って記憶にとどめておく、それが彼女への償いだとしても、できない。後悔に(さいな)まれ悲しみに暮れることもなく、菜月のことを今更知りたいと思えない。これが自分だ。
 人殺しとして、幸せになろうとせずに生きていくことだけが、丈郎に可能な彼女への償いなのかもしれない。

 
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