第21話 敗者になろうとする者

文字数 1,770文字

 (くま)の国の制圧は夏徳(かとく)が予想していた以上に早かった。ほぼ無抵抗に等しい状態で熊の国の領内に入ることができ、夏徳の常識では王宮とは呼べないような粗末な王宮を占拠することができた。

 もっともこれは熊の国に限った話ではない。この地域の周辺にある国々は、民の数が数千といった国とは呼べないような国ばかりなのだ。そのような国の王宮など豪勢であるはずがないのかもしれなかった。

 初老の域に達しているように見える熊の国の君主、久遠(くおん)は自らの身を縄で縛り頭を垂れて夏徳たちの前に姿を現した。その姿を見て、彼なりに(よう)の国に対して恭順の意を最大限に表したのだろうと夏徳は思った。

 だが、呂桜(りょおう)はそれを不快として捉えたようで、自らの身を縄で縛った久遠の姿を見るなり踵を返した。

「夏徳、後は任せるぞ。私は敗者に対して寛大になるつもりだが、戦わずして敗者になろうとする者は好きになれん」

 そんな言葉を残して踵を返した呂桜を横目で見ながら、夏徳はやれやれだなと思う。呂桜の言葉も分からないと言うつもりはないが、それは強者の理屈でしかないように思えた。

 強大な陽の国に対して圧倒的な弱者である熊の国。そこの君主となればこの行動も仕方ないことなのだろうと夏徳は思う。

 久遠の行動は何も自分の命を守るためだけのものではないだろう。熊の国の君主としては自国の民を守る使命があるのだ。そこに自らの矜持が入り込む隙などはきっとないのだろう。

丁統(ちょうとう)、後は任せる」

 呂桜と同じような言葉を夏徳が口にすると、はあとばかりに副官の丁統が隣で頷いた。その顔には、面倒なことを押しつけてといったものが如実に浮かび上がっていた。

 まあ、そんな顔をするなと夏徳は思う。こちらはこちらで考えなければいけないことがあるのだ。西方を制するにあたって陽の国が擁している将兵は一万。

 この食い扶持を考えなければならないのだ。あわよくば制圧する熊の国から徴収と考えていたのだが、残念ながら熊の国は貧困に窮しているようだった。徴収できる食糧は皆無に近いように思えた。

 国としての宿命云々といった話は置いておいて、本音では陽の国の文化を広めるためだか何だか知らないが、西部の山間にあるこの熊の国のような貧乏国たちを併合してどんな得が陽の国にあるのかと思う夏徳だった。

 この後に攻め入るだろう(きり)の国とやらにしても同じことだと思う。どちらかと言えば、制圧して併合する度に、陽の国の負担が増すのではといった類いのものだった。これは何かの罰なのかとさえ思えてくる。

 やれやれだなと夏徳は改めて思った。いずれにせよ、これ以上の進軍をする前に補給と補給路の確保を考えることが急務なようだった。

 そんなことを考えていた夏徳に丁統が思い出したように顔を向けた。

「そう言えば隣の霧の国には威候(いこう)将軍がいますね」
「威侯?」

 そう言葉を返したものの、その人物には夏徳にも心当たりがあった。確か三十年近く前だったか。

 当然、夏徳も話でしか聞いたことはないのだが、この西部に位置する小国たちが連合を作ったことがあった。そして、当時、大国として知られていた蘇の国とその小国連合が戦ったのだった。

 その時、比類のなき武人として諸国に名を知らしめたのが霧の国の将軍、威侯だった。

「五十人斬りとも百人斬りとも言われている武人ですからね」

 丁統が感心したように言う。その瞳は熱を帯びていて、強い者へ単純に憧れる少年の瞳であるかのようだった。軍師志望の身でありながら、その態度はいかがなものなのではと夏徳は言ってやりたくなってくる。

「そうだな。きっと馬鹿でかくて、鬼のような顔をした武人だろうな。お前など、きっと瞬殺されるぞ。頭から喰われてしまうかもな。怖い、怖い」
「大丈夫ですよ。私の前に軍師殿、夏徳様が殺されます。戦いとはそういうものです」

 丁統に正面から反論されて夏徳は面白くなさそうな表情を浮かべた。

「ふん。一万の軍勢を前にして個人の武勇などは何の役にも立たぬさ」
「まあ、それはそうでしょうが」

 流石に丁統もこれに反論をすることはなかった。

「まあ、それだけ有名な武人がいるのだ。捨て身の斬り込みだけは気をつけるとしようか。姫様にもしものことがあったら、首が飛ぶのは俺だけではすまないからな」

 夏徳のそんな言葉に丁統は嫌そうな表情を夏徳に返すのだった。
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