第58話 きな臭い

文字数 1,572文字

「熱が出た時は決して無理をすることはなく、必ず床に臥せるように。何、薬を飲んで静養を続けていれば、熱を出す頻度もやがては少なくなります。そうなれば間違いなく天寿も全うできましょう。熱がないようであれば、普通の生活は問題ないですな。ただ、肉体的や精神的にも疲弊する作業は極力避けるように」

 ……肉体的や精神的に疲弊する作業。
 抽象的で今ひとつ分からないと思った華仙だったが、要は無理をさせなければよいのだろうと思う。

「分かりました」

 華仙(かせん)は言葉を返すと、隣の(げん)に黒色の瞳を向けた。

「ですって、玄。無理して暴れては駄目なんだからね」
「分かってるさ。僕は子供じゃない。それに、いつも暴れ回っているのは華仙の方じゃないか」

 玄はそう言って口を尖らせたのだった。




 「どうにもきな臭い」
 
 帝都のほぼ中心を流れている大河の土手に寝転んでいた夏徳(かとく)はそう独りごちた。
 寝転ぶ夏徳の視界には、雲がひとつもない見事な青空が広がっている。
 
 (よう)の国が併合した西部地域の各国。それらの国々に対して、寛大な処置を施してもらう。呂桜(りょおう)と共にその目的を持って帝都を訪れたはずの夏徳だったが、どうも雲行きがおかしい印象があった。

 正妃の子供ではないとはいえ、呂桜が現在の帝である(りょく)帝の実子であることには違いがない。よって、当然その発言にはある程度の力があるはずなのだったが、どうもそうはならないようだった。

 あからさまに否定もされないのだが、呂桜がそのように発言しても一向に響かない雰囲気があった。呂桜の発言をこうも簡単に抑え込める者は、陽の国の中でもそう多くはいないはずだった。

 呂桜自身はこのことをどう感じているのだろうか。
 
 いや、考えるまでもないと夏徳は思い直した。
 あの姫様は決して馬鹿ではない。それが夏徳の率直な印象だ。今の状況を踏まえれば、自身の発言が少しも前進していないことを夏徳と同じように彼女も感じているはずだった。

 そこまで考えて、夏徳はもう少し考えを進めてみる。
 
 呂桜の発言を抑え込める者。
 凱鋼代(がいこうだい)将軍といった他の兄弟か。

 いや、違うなと夏徳は思う。今回に関して言えば、彼らが呂桜の言を邪魔したところで彼らに益があることはないだろう。

 ならば、もっと上の……緑帝、もしくはその側近たち。
 つまりは、国の意思ということか。
 夏徳は心の中で呟く。

 ただ、呂桜の発言を抑えてまで国がやろうとしていること。それが夏徳にはまだ明確に見えていない。

 いずれにしても今の状況から考えると、国の意思が呂桜の発言の対極にあると断言してもよさそうだった。

 そう結論づけた夏徳は顔に厳しいものを浮かべた。
 呂桜の発言に反するもの。それが一体何なのか。不穏なものを感じながら、夏徳はそう考えるのだった。




 帝都での療養は華仙が考えていた以上に平穏で穏やかなものだった。思えば(くま)の国との小競り合いから始まり、(うみ)の国相手の撤退戦まで、心も体も休まる日がなかった。気がつけば、あの時の熊の国との小競り合いから、もう二年近くが経過しているのだ。

 これでこの先、少しは落ち着くことができるのだろうか。それともまた、陽の国の争いに自分たちが巻き込まれることになってしまうのだろうか。

 だが、そう思い悩んで考えたところで先のことが分かるはずもない。華仙は開き直るように思い直すと、ならば今はこの平穏を享受しようと思うのだった。

 玄はと言えば、静養も兼ねて読書の日々であるようだった。玄が言うには、陽の国にある本は霧の国にいた頃では手に入らない本ばかりらしい。日々それらを読める玄の様子は、かつてないほどに楽しそうで満足気だった。

 本を読むのが苦手というか、そもそもが性に合わない華仙には何を言っているのかちょっと分からないと思う。でも、玄が嬉しいのであれば、華仙は単純に嬉しいのも事実だった。
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