第53話 王としての資質

文字数 1,677文字

 黄帯(こうたい)が右手を振り下ろした。それに合わせて敵兵を目がけ、上空に矢が一斉に放たれる。

 大気を切り裂いて降り注いでくる矢の雨。敵兵は一瞬の混乱を見せたものの、伏兵からの襲撃をある程度は予測していたのだろう。すぐに混乱を収めると、各々が上空から降ってくる矢に盾を翳す。

 華仙(かせん)が三度目の矢を放った時だった。威候(いこう)の大音量の声が周囲を震わせた。

「駄目だ! 物凄い数だぞ! これは抑えきれん! これは参ったぞ! 仕方がない、逃げるぞ!」

 ……何か、芝居がかった間抜けな台詞だ。
 華仙は心の中で呟く。それに相変わらずというか、無駄に声が大きい。しかし、この音量であれば、敵兵にも威候の言葉が十分に響き渡っていることだろう。

 威候のそんな台詞を合図として華仙たちは弓矢を放り出すと、四方へ散り散りとなって逃げ始める。装備も最低限の物しか身につけていないので、誰もが逃げ足は早い。上空から見ることができれば、まるで蜘蛛の子を散らすような逃げ方であったろう。

 華仙たちも黄帯を先頭にして後ろには(げん)、その背後には威侯と華仙が並び、共に戦場からの離脱を図ったのだった。




 山道を抜けて殿の伏兵である我々を蹴散らしたつもりの(うみ)の国は、休息も兼ねて細長くなった兵たちを必ずここで整えるはず。

 玄はそう言って地図の一点を指し示した。そこは左右をなだらかな山に囲まれた平地だった。

 何故、そう言い切れるのだ。
 夏徳(かとく)の質問に玄は明確に答えた。

 この先の川を越えれば(よう)の国の領内です。ならば、この大きく開けた平地で兵を整えるのは必定かと。この場所以外に七万もの軍勢を整える場所はないのですから。

 結果、海の国の動きは玄の予想通りとなった。殿の伏兵を瞬く間に蹴散らしたつもりの海の国は、憎き陽の国を自国の領内から追い出すことができた勝利に酔いしれた。

 そして、更にこれからその勢いを持って陽の国へ攻め入るとばかりに、細長く伸びた兵の隊列を整え始めたのだった。そんな彼らを左右の山から矢の雨が襲った。

 陽の国からの急襲を受けて混乱に陥った海の国を更に左右から騎馬、そして歩兵の突撃が襲う。

 海の国、七万の軍勢を陽の国の西方軍二万が左右から斬り裂いた。よもやの急襲を受けて海の国は浮足だった。

 加えて西方軍の兵たちが口々に叫ぶ包囲しろ、包囲しろの言葉に海の国は完全に恐慌をきたした。

 このままでは包囲されてしまう。そんな恐怖に支配され、海の国の兵たちは我先にとばかりに雪崩を打って逃げ出した。

 今まで自分たちが抜けてきた細い山道に向かって海の国の兵、七万が殺到した。当然、一度に七万もの兵が通れるはずもなくて、押し合いの大渋滞となる。

 逃げ出そうとする兵を立て直せないままに、今度はその背後から陽の国が再び襲いかかる。

 圧勝だった。
 それが夏徳の純粋な感想だった。逃げ出そうとする陽の国の西方軍二万が、それを追いかける海の国の兵七万を退けたのだ。

 夏徳も認めて容認した策だったが、ここまで見事に嵌るとは思ってはいなかった。

 確かに運も味方したのかもしれない。だが、これであの若い元君主の戦における能力。その才が非凡なものではないことを示しているのは間違いない。そう夏徳は感じていた。

「見事だな」

 呂桜(りょおう)が夏徳の横で感嘆している。

「そうですな」

 夏徳の言葉に呂桜が不思議そうな顔をする。

「そうではない。お主が玄殿の策を認め、実行したことがだ」

 それを言うのであれば、最終的にそれを容認したのは呂桜自身なのだ。そのことに本人は気づいていないのだろうか。

 王としての資質。
 そんな言葉が夏徳の中に浮かぶ。

「さて、どうでしょうか。いずれにしましても称賛するのであれば、策を考えた玄殿とそれを違わずに実行した兵たちでしょうな。残念ながら、私が受けるべき称賛ではありません」
「ふむ。どうやら、お主は無欲なのか臍曲がりなのか。そのどちらなのであろうな」

 呂桜が興味深そうな顔でそんな夏徳を見る。
 
 おそらくは後者でしょうね。そう思った夏徳だったが、あまりにも子供じみている気がして流石にそれを口にすることはなかった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み