第66話 何かが終わり、何かが始まる

文字数 2,533文字

「さて、霧が出る前に帰るとしようか。今日は到着の挨拶をしにきただけなのだからな。明日、また改めて夏徳(かとく)と共に積もる話をするとしよう」
「わざわざお越し頂き、ありがとうございます」

 頭を下げた華仙(かせん)呂桜(りょおう)は軽く片手を上げて応えると再び口を開いた。

「そういえば二人の子供は息災か?」
「はい。我儘盛りで、いつも私や祖母の冬香(とうか)、そして乳母の梅果(ばいか)を困らせています」
「そうか。それは大変そうだな。だが、子供が元気なことはよいことだ」

 そう言って笑顔を浮かべる呂桜の顔を見て、改めて美しい人だと華仙は思った。確か年齢は三十歳に届いているはずだった。だが、その美しさは以前と遜色はない。日々戦場を駆け巡っているはずなのに、その美貌を保てる秘密は何なのだろうかと思う。

「しかし、驚いたぞ。前に会った時、華仙が私の知らぬ間に双子の母親になっているのだから。もっとも、誰が父親なのか今後も訊くつもりはないがな。もし聞けば私も立場上、対処が必要になるというものだ」

 華仙は呂桜の言葉に微笑を浮かべるだけで、何も言葉を発することはしなかった。

「子供といえば……一度、華仙に訊いてみたいことがあってな……今日は他に人もいないし……」

 呂桜が珍しく何故か言い淀む。気のせいか呂桜の顔が少し上気しているように見える。

「はい、何でしょうか?」
「いや、その、大した話ではなくてな。だが、私には女の友人というものが華仙の他にいなくてな……」
「はい……」

 何故ここで友人の話がでてくるのかが全く分からない。呂桜が何を持って回って言い淀んでいるのか、華仙には全く想像がつかなかった。

「その、子供ができたということは……その……何だ、華仙も殿方とあれをしたということなのだな」

 殿方とあれをした?
 そこまで考えて、華仙は呂桜が言おうとしていることをようやく理解した。

「子供ができた以上、まあ、そうですね」
「そ、そうか。もちろん、そうであろうな。子供が野菜畑で採れるはずもないからな」

 呂桜は顔を赤らめて、よく分からないことを言いながら、うんうんとばかりに二度、三度と頷く。

「聞いた話だが、その、殿方のあれは、なかなかに大きいものだと聞く……その、どれぐらい大きい物なのか、そのような物が果たして自分に入るものなのか……前から興味が……というか不安が……」

 呂桜が可愛らしい。
 華仙は込み上げてくる笑いを堪えながら、傍にある机の足を指し示した。

「長さは、あの足の三分の一程で、太さは同じぐらいでしょうか」
「そ、そんなにか!」

 呂桜は華仙が指し示す先を見て目を丸くしている。

 僕のものはそんなには……。
 苦笑する(げん)の言葉が聞こえた気がした。

 笑いを堪えている華仙の様子に気がついたのだろう。呂桜が珍しく頬を膨らませた。

「華仙、お主、私を馬鹿にしておるな?」

 華仙は開いた両手を呂桜に向けて左右に振る。

「そんなことはないですよ。ただ、呂桜様が可愛いなと」
「か、可愛い……」

 呂桜は更に顔を上気させて、あらぬ方向を見る。

「し、仕方がなかろう。私には経験もないし、相手もおらぬのだ」
「あら、お相手ならいるではないですか」

 華仙の言葉に意味が分からないといった顔を呂桜が向けた。

「いつも、呂桜様のお傍にいる素敵な軍師殿が」
「か、夏徳のことか?」

 呂桜の声が一段高くなる。

「あ、あれはそういう者ではなくてだな……その……」

 呂桜の顔は既に耳まで赤くなっていた。

「華仙はあれだぞ。お主、何だか意地悪になったぞ」

 耳まで真っ赤にしたままで、呂桜が消え入りそうな声で言う。

「ふふっ。母は強しです」

 そんな呂桜を愛しく感じながら、華仙は言ったのだった。




 呂桜が去った後、華仙は庭先に足を伸ばした。まだ霧は出ていない。でも、直に立ち込めてくるのだろうと華仙は思う。

 かつて(きり)の国と呼ばれたこの地域は、(よう)の国の中でも比較的平穏だと言えるのだろうと華仙は思っていた。定期的に戦のために百人規模で兵役に駆り出されるが、それは仕方がない。陽の国自体が戦乱の中心にいるのだから。

 戦に駆り出された民たち全てが、無傷で帰ってこられるわけではない。二度とこの地を踏めなかった者も多くいる。だが、それでも再び帰って来られる者の数は、他の地域と比べれば多いはずだと華仙は思っていた。これは戦場で指揮をとる威候(いこう)黄帯(こうたい)が尽力してくれているからなのだろう。

 久しぶりに呂桜の顔を見たためだろうか。かつての様々な事柄が華仙の胸に去来する。

 思い出されることは楽しかったこと、嬉しかったことが大部分であったが、やはり最後に思い出されるのは悲しい事柄だった。華仙は沈み込もうとする気持ちを奮い立たせるように顔を夜空へと向けた。

 夜空では星が飽きることもなく瞬いている。
 威玄(いげん)美仙(びせん)が大きくなったら、自分は必ず彼らに伝えなければならないと華仙は思う。

 彼らの父親が何を願い、何を守ろうと思ったのか。
 そして、自らの命を賭して何を守ったのかを。

 その思いを知った上でも、それでも威玄と美仙は霧の国の民たちと共に立とうと言うかもしれない。その時は自分も再び剣を握るのだろうか。

 そうしてしまうことは、きっと玄が怒ることなのだろう。だけれども威玄と美仙が望むのならば、その思いを叶えてあげたいとも華仙は思うのだった。

 夜空では無数の星が瞬いていて、その瞬きは止まることがない。夜空の星々と同じように人の思いもきっと無数にあるのだろう。そして、それらのどれもが正解で、そのどれもが正解ではないのだろう。

 正解などは先の未来でなければ分からない。その正解すらも、その時の立場や状況できっと変わってしまうものなのだから。

 かつて玄が言っていた憎しみの連鎖を断ち切りたいという願い。
 そして、最後の手紙にあった止むこともなく寄せては返す波のような恨みは止めてほしいという願い。
 
 それらの願いと共に玄の出した答えが正しかったのか。自分にはまだ分からないと華仙は思う。だけれども、今は玄の命を賭した答えを、願いを華仙は守ろうと思うのだった。

 ……玄、それが私の答えかな。

 何かが終わり、何かが始まる。
 
 そんな予感に駆られて、瞬く星を掴むかのように華仙は片手を夜空に向けて伸ばすのだった。
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