第15話 陽の国
文字数 1,765文字
気合いの声と共に、短剣に模した木刀を華仙 は対峙している者に打ち込んだ。木刀とはいえ、懐に潜り込んだ相手の喉をそのまま貫くのではと思えるほどの素早い一撃だった。
だが、華仙が放った一撃はその者の喉元に届く前に弾かれる。そして、次の瞬間には木刀が華仙の手元を離れて、午後の霧が晴れた青空を背にして宙を舞った。
「お見事です。姫様」
木刀を弾かれて痺れる右手に顔を顰めていた華仙は、自分の木刀を弾いた相手からそう声をかけられた。
「木刀を弾かれたのに褒められてもね」
華仙はそう言って頬を膨らませた。
「姫様、そのような顔をされるとまだまだ子供のようですな」
黄帯 の笑いが混じった言葉を聞いて、華仙の頬はより一層膨らんでいく。もう今年で十七歳になる女性に向かって子供呼ばわりとはどういうことだと華仙は思う。同世代の中には既に伴侶を見つけて子供を産んでいる者だっているというのに。
黄帯。歳は今年で四十歳となる武人だった。また、威侯の腹心であり同時に華仙の剣の師でもある。
こうして黄帯と稽古をすることがほぼ華仙の日課となっていた。
「姫様は強くなられた。もうこの国で姫様に勝てる者など、数えるほどでしょうに」
「どうかしら? まだ黄帯に勝てたことは一度もないけどね」
華仙はそう言って鼻の頭に皺を寄せる。そんな華仙を見て黄帯は苦笑をした。
「経験の差だけでしょうな。実際、姫様の速度は私、それこそ威候 将軍をも凌駕しているはず」
「残念だけど力では敵わないもの。ならば、瞬間の速さだけは負けないようにしないとね」
そうでなければ、非力な女性の身としては勝ち目がないのだからと華仙は思う。
「では、今日の稽古はこれぐらいにしておきましょう。姫様、稽古を終えたら部屋まで顔を出すようにと、威候将軍が仰せでした」
「父上が?」
珍しいこともあるものだと華仙は思う。父親の威侯が華仙をわざわざ呼びつけることなどあまりあることではなかった。
子供の頃の華仙であれば、玄 と一緒にやった悪戯がばれてしまったのだろうかと不安に思うところである。しかし、十七歳となった今、もう悪戯がどうしたということであるはずがなかった。
では何か?
どこからか込み上げてきた不安を帯びた得体の知れない予感がある。それを感じながら華仙は稽古で乱れた黒髪を後頭部で結び直したのだった。
稽古を終えた華仙は黄帯の言葉に従って威侯の部屋に足を向けた。華仙が声をかけて部屋に入ると、威侯はそれまで手にしていた書物を閉じて無言で華仙に顔を向けた。
我が父親ながらその顔は鬼瓦のようだと改めて思う。無言だとより一層の圧を感じてしまう。幼い頃は威侯が玄に向かって何かを話す度に、玄が顔を引き攣らせて涙ぐんでしまっていた気持ちも分かるというものだった。
「黄帯と稽古だったようだな。稽古もよいが、お前も書物に接しなければな。経験だけでは学べない物が世の中には数多くあるのだ」
そう言われてもと華仙は思う。どうも座って何かをするというのは昔から性に合わないのだ。これは誰に似てしまったのだろうかと華仙は思いながら、母親の顔を華仙は思い浮かべた。少なくとも顔に似合わず文武に秀でている父親ではなさそうだった。
「父上、その辺りのことは幼き頃より玄様にお任せしておりますゆえ。私は玄様に足りない物を補い、それを磨く所存ですので」
そんな娘の屁理屈のような言葉に威侯は苦笑を浮かべた。
「まあいい。それよりも今日は大事な話があって華仙を呼んだのだ。華仙も玄様のお側で仕える身。ならば、耳に入れておいた方がよいと思ってな」
そのような威侯の言葉を聞いて華仙は改めて居住まいを正した。
「陽 の国は知っているな」
華仙は無言で頷いた。霧 の国よりも東にある大きな国だと聞いていた。大国らしく文化も非常に進んでいて、この霧の国にある書物も殆どは陽の国からもたらされた物のはずだった。
「四年前に今の王となって以来、陽の国は周辺の国を次々と滅ぼし始めた」
「滅ぼす……」
「周辺の国々を次々と侵攻して領土を広げ続けているのだ。その動きは止まることがない」
その話なら以前から何度か聞いたことがある。陽の国がどこかの国と戦いを始めただの、滅ぼしただのと。しかし、それは華仙にとってどこか遠い国の出来事だった。現実味のある話ではなかった。
だが、華仙が放った一撃はその者の喉元に届く前に弾かれる。そして、次の瞬間には木刀が華仙の手元を離れて、午後の霧が晴れた青空を背にして宙を舞った。
「お見事です。姫様」
木刀を弾かれて痺れる右手に顔を顰めていた華仙は、自分の木刀を弾いた相手からそう声をかけられた。
「木刀を弾かれたのに褒められてもね」
華仙はそう言って頬を膨らませた。
「姫様、そのような顔をされるとまだまだ子供のようですな」
黄帯。歳は今年で四十歳となる武人だった。また、威侯の腹心であり同時に華仙の剣の師でもある。
こうして黄帯と稽古をすることがほぼ華仙の日課となっていた。
「姫様は強くなられた。もうこの国で姫様に勝てる者など、数えるほどでしょうに」
「どうかしら? まだ黄帯に勝てたことは一度もないけどね」
華仙はそう言って鼻の頭に皺を寄せる。そんな華仙を見て黄帯は苦笑をした。
「経験の差だけでしょうな。実際、姫様の速度は私、それこそ
「残念だけど力では敵わないもの。ならば、瞬間の速さだけは負けないようにしないとね」
そうでなければ、非力な女性の身としては勝ち目がないのだからと華仙は思う。
「では、今日の稽古はこれぐらいにしておきましょう。姫様、稽古を終えたら部屋まで顔を出すようにと、威候将軍が仰せでした」
「父上が?」
珍しいこともあるものだと華仙は思う。父親の威侯が華仙をわざわざ呼びつけることなどあまりあることではなかった。
子供の頃の華仙であれば、
では何か?
どこからか込み上げてきた不安を帯びた得体の知れない予感がある。それを感じながら華仙は稽古で乱れた黒髪を後頭部で結び直したのだった。
稽古を終えた華仙は黄帯の言葉に従って威侯の部屋に足を向けた。華仙が声をかけて部屋に入ると、威侯はそれまで手にしていた書物を閉じて無言で華仙に顔を向けた。
我が父親ながらその顔は鬼瓦のようだと改めて思う。無言だとより一層の圧を感じてしまう。幼い頃は威侯が玄に向かって何かを話す度に、玄が顔を引き攣らせて涙ぐんでしまっていた気持ちも分かるというものだった。
「黄帯と稽古だったようだな。稽古もよいが、お前も書物に接しなければな。経験だけでは学べない物が世の中には数多くあるのだ」
そう言われてもと華仙は思う。どうも座って何かをするというのは昔から性に合わないのだ。これは誰に似てしまったのだろうかと華仙は思いながら、母親の顔を華仙は思い浮かべた。少なくとも顔に似合わず文武に秀でている父親ではなさそうだった。
「父上、その辺りのことは幼き頃より玄様にお任せしておりますゆえ。私は玄様に足りない物を補い、それを磨く所存ですので」
そんな娘の屁理屈のような言葉に威侯は苦笑を浮かべた。
「まあいい。それよりも今日は大事な話があって華仙を呼んだのだ。華仙も玄様のお側で仕える身。ならば、耳に入れておいた方がよいと思ってな」
そのような威侯の言葉を聞いて華仙は改めて居住まいを正した。
「
華仙は無言で頷いた。
「四年前に今の王となって以来、陽の国は周辺の国を次々と滅ぼし始めた」
「滅ぼす……」
「周辺の国々を次々と侵攻して領土を広げ続けているのだ。その動きは止まることがない」
その話なら以前から何度か聞いたことがある。陽の国がどこかの国と戦いを始めただの、滅ぼしただのと。しかし、それは華仙にとってどこか遠い国の出来事だった。現実味のある話ではなかった。