第26話 斬り込むつもり

文字数 1,671文字

「僕も華仙(かせん)と同じで反対だね。今の局面で威候(いこう)が出て行くことに意味はないと思うのだけれども」
(よう)の国が何かを仕掛けようとしていることは間違いないでしょう。ならば、それが始まる前に(きり)の国の意地を、矜持をこの威侯が見せてきます」
「陽の国の策が始まったら、僕たちにはそれを止められないということかな? でも、その策自体が威侯の突出を前提にしているものかもしれないよ」

 (げん)の言葉に威侯は首を左右に振った。

「陽の国ほどの大国が、この威侯をそれほどまでに恐れることはないでしょう。どういう策かは分かりませぬが、この威侯とは別の話かと」

 威侯はそう言うと、娘と同じ黒色の瞳を華仙に向けた。

「そのような顔をするな、華仙。死にに行くわけではない。危なくなったら戻ってくる。私もまだ死ぬつもりはないのでな」
「ですが、父上……」

 自分はどのような顔をしていたのだろうかと思いながら、華仙はそれだけを言った。

黄帯(こうたい)は連れて行くぞ。隙があれば、本陣に斬り込んで敵将らしき者を捕まえてくる」

 威侯は腹心であり、華仙にとっては武芸の師でもある黄帯の名前を上げた。それだけ威候は本気ということなのだろうと華仙は思う。

「威侯、一つだけ約束してほしい。無理はしないでくれ。威侯が死ねば、華仙が悲しむ。僕は華仙を悲しませたくないのだからね」

 この言葉に威侯は破顔する。

「分かりました。当然、私にとっても華仙は大切な娘。それを悲しませるような真似は致しません」

 何故か最後は、威侯の生死ではなくて、自分を悲しませる、悲しませないの話になってしまった。威候の身を心配する一方で、そんな釈然としない気持ちを華仙は抱えるのだった。




 「もう少し上手くやれないものかね」

 全体の指揮を採るために組んだ矢倉の上で、夏徳(かとく)は何度目かの愚痴を口にした。

「上手く負けてこいなどと言うからですよ。兵たちは完全にやる気をなくしていますからね」

 隣りで副官の丁統(ちょうとう)が人ごとのように涼しい顔をしながら答えた。その言葉と言い方に何となく腹が立って夏徳は丁統を睨みつけた。だが、丁統は涼しい顔を変えようとはしなかった。

 若干、二十歳を超えただけの歳で軍師の副官となっている丁統だ。その才は勿論のこと、胆力も大したものということか。

 丁統は陽の国の中で有力者に連なる者の生まれだと聞いていた。自分と違ってその出自も問題なく、いずれは陽の国を支える人物になるのかとの皮肉めいた思いも夏徳の中にある。夏徳はそこまで考えると、その思考を頭から追い払って別のことを口にした。

「負け方、逃げ方というものがあるだろう。それに、あのようなやる気のない攻め方では、攻めることも演技ですと言っているようなものだ」
「まあ、確かにそうですね。あれでは他に策があると公言しているのと同じでしょうね」

 何を感心したように頷いていやがると夏徳は思ったが、それを口に出すことはなかった。霧の国の城門に動きがあったのだ。

 やる気のない陽の国の将兵が撤退する動きに合わせて、それまでは固く閉じられていた城門が静かに開いたのだった。

 そこから十騎ほどの騎兵が姿を見せた。

「おい、あれは……」

 騎兵が全て城壁の外に出ると城門は再び固く閉じられる。

「おい、あの鬼瓦みたいな顔、噂の威侯じゃないのか?」
「……さあ、私も顔を見たことはないので。遠目なので顔はよく分からないですね。ですが、あの体格ですし、恐らくはそうでしょうね」
「あ、駆け出しやがった。あいつ、斬り込むつもりだぞ!」
「……まあ、そうでしょうね。この戦局を打開するとすれば、斬り込む以外に策はないかと」
「馬鹿!」

 夏徳は思わず子供のように叫んでいた。呑気に解説している場合ではないかもしれなかった。

「姫様を避難させろ。自らが前線で指揮をとると先刻、息巻いていたぞ!」

 この言葉に丁統も流石に顔を青くさせた。

「早く行け! 配下の者も連れて行くことを忘れるな!」

 丁統は尻でも蹴飛ばされたかのように、慌てて矢倉を降りて行く。
 夏徳自身も長剣を手にすると丁統に続いて櫓を降りるため、梯子に手をかけたのだった。
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