第35話 天然
文字数 1,778文字
「ねえ、華仙 。玄 様をお守りすることは将軍家の者として分かるのだけれど、女性のあなたが戦場に出る必要はないと思うのよね」
「ですが、母上。今は霧 の国がなくなってしまうかもしれない状況なのです。民たちも男女を問わず、戦いに参加してくれておりますゆえ」
「それはそうかもしれないけど。国がなくなるのは大変なのだけれど」
どうやら冬香 の膨らんだ頬が小さくなる気配はないようだった。
国がなくなるのは大変。
大変の言葉ひとつで片付けようとしてしまう母親の方が大変なのではと華仙は思う。
「いずれにしても母上、先程も言ったように私が危険になるようなことはないので」
「もお、華仙ったら、父上と同じでいつも危険はないばかりで。戦場なのだから、全然そうではないことを母だって知っているのですよ」
いつもの如く、話は平行線を辿るだけのようだった。
「母上、先程も言いましたが、国がなくなってしまうかもしれない時なのです。将軍家に生まれた娘としての義務が私にはあります」
「華仙は先程、先程ばかりですね。ですから、それは分かってるのよ。でも、華仙が危ないことをする必要はないと母は言っているのです」
分かっていない……。
華仙は心の中で呟くと、溜息を吐き出した。
「母上、今日はここに泊まります。ですが、明日はまた玄様を傍でお守りに行きますゆえ」
正に、えーっといった顔を冬香はしている。まったく、四十も近くなるというのに本当にいつまで娘気分なのだと華仙は思う。それもこれも父親の威候 が、いつまでも母親の冬香を甘やかしているからなのだ。華仙は改めてそう確信する。
「もう、玄様、玄様って、いつも華仙はそればかり。玄様の何がそんなに好きなのかしら」
冬香はそんなことを言って考える素振りを見せた。その言葉に華仙の顔が一気に上気する。
「は、母上? 私はそのようなことは言っておりませぬ」
「あら、だってそうでしょう。こんな小さな時から、玄様、玄様って、後をついて歩いて。大きくなったらなったで、護衛だ何だで後をつけまわして。まるで、すとーかーではないですか。本当にどれだけ好きなのかしら」
「は、母上? す、すとーかー? すとーかーって何ですか? どういう意味ですか!」
「そんな意味は母も知りません」
「は? し、しかも、あ、後をつけまわして?」
より一層、顔を上気させて華仙は非難の声を上げる。
「あら、あら、顔を真っ赤にしてしまって。華仙はいつまでたっても子供なのだから。困ったものねえ」
結局、言い負かされてしまったようだった。
天然とは恐ろしい。そう思った華仙だった。
さて、ぼちぼちかねえ。
夏徳 は心の中で呟いた。
霧の国の右手には切り立った崖がある。勿論、その崖沿いにも城壁はあるのだが、城壁を越えたすぐ下は当然、崖があるだけだ。よって崖沿いの城壁は手薄を通り越して霧の国の見張りは皆無だった。
夏徳はその崖を登り、城壁を越えて霧の国の内部に侵入しようとしていた。
崖を登る。言葉にすると大層に聞こえるが、何も崖の一番下からよじ登る必要はなかった。崖と繋がる横手の山から崖に取りつき、右斜め、右斜めと登っていけば、城壁に辿りつくのだ。半日も登れば城壁を乗り越えられる算段だった。
崖をよじ登り霧の国の内部に侵入する兵は八名。いずれも自ら挙手した者たちで、その誰もが同じ地方の山間部で育った者たちらしかった。
説明をされても夏徳には理屈が分からなかったのだが、その者たちが言うには崖を登る時の要領があるらしい。僅かな引っかかりさえあれば、登れるはずとその誰もが豪語していた。
その者たちの言を信じるのであれば、崖を登ることよりも霧の国の内部に侵入してから。それからの方が危険なのだろうと夏徳は思っている。霧の国ではない者、陽 の国の者が歩いていれば不自然に目立ってしまう可能性があった。
もっとも、霧の国の住民が数千人しかいなとはいえ、住民全てが互いに知り合いのはずもない。見知らぬ者が歩いていたところで、それほどの不自然さはないのではとも思う。いずれにしても、目立つ目立たないは賭けに近いものがあった。
霧の国の内部に侵入し、城門を内側から開けて彼らは脱出する。彼らの脱出と呼応して、陽の国の将兵が霧の国の内部に雪崩れ込むことができれば、勝敗は決するはずだった。それが夏徳の描いた絵であった。
「ですが、母上。今は
「それはそうかもしれないけど。国がなくなるのは大変なのだけれど」
どうやら
国がなくなるのは大変。
大変の言葉ひとつで片付けようとしてしまう母親の方が大変なのではと華仙は思う。
「いずれにしても母上、先程も言ったように私が危険になるようなことはないので」
「もお、華仙ったら、父上と同じでいつも危険はないばかりで。戦場なのだから、全然そうではないことを母だって知っているのですよ」
いつもの如く、話は平行線を辿るだけのようだった。
「母上、先程も言いましたが、国がなくなってしまうかもしれない時なのです。将軍家に生まれた娘としての義務が私にはあります」
「華仙は先程、先程ばかりですね。ですから、それは分かってるのよ。でも、華仙が危ないことをする必要はないと母は言っているのです」
分かっていない……。
華仙は心の中で呟くと、溜息を吐き出した。
「母上、今日はここに泊まります。ですが、明日はまた玄様を傍でお守りに行きますゆえ」
正に、えーっといった顔を冬香はしている。まったく、四十も近くなるというのに本当にいつまで娘気分なのだと華仙は思う。それもこれも父親の
「もう、玄様、玄様って、いつも華仙はそればかり。玄様の何がそんなに好きなのかしら」
冬香はそんなことを言って考える素振りを見せた。その言葉に華仙の顔が一気に上気する。
「は、母上? 私はそのようなことは言っておりませぬ」
「あら、だってそうでしょう。こんな小さな時から、玄様、玄様って、後をついて歩いて。大きくなったらなったで、護衛だ何だで後をつけまわして。まるで、すとーかーではないですか。本当にどれだけ好きなのかしら」
「は、母上? す、すとーかー? すとーかーって何ですか? どういう意味ですか!」
「そんな意味は母も知りません」
「は? し、しかも、あ、後をつけまわして?」
より一層、顔を上気させて華仙は非難の声を上げる。
「あら、あら、顔を真っ赤にしてしまって。華仙はいつまでたっても子供なのだから。困ったものねえ」
結局、言い負かされてしまったようだった。
天然とは恐ろしい。そう思った華仙だった。
さて、ぼちぼちかねえ。
霧の国の右手には切り立った崖がある。勿論、その崖沿いにも城壁はあるのだが、城壁を越えたすぐ下は当然、崖があるだけだ。よって崖沿いの城壁は手薄を通り越して霧の国の見張りは皆無だった。
夏徳はその崖を登り、城壁を越えて霧の国の内部に侵入しようとしていた。
崖を登る。言葉にすると大層に聞こえるが、何も崖の一番下からよじ登る必要はなかった。崖と繋がる横手の山から崖に取りつき、右斜め、右斜めと登っていけば、城壁に辿りつくのだ。半日も登れば城壁を乗り越えられる算段だった。
崖をよじ登り霧の国の内部に侵入する兵は八名。いずれも自ら挙手した者たちで、その誰もが同じ地方の山間部で育った者たちらしかった。
説明をされても夏徳には理屈が分からなかったのだが、その者たちが言うには崖を登る時の要領があるらしい。僅かな引っかかりさえあれば、登れるはずとその誰もが豪語していた。
その者たちの言を信じるのであれば、崖を登ることよりも霧の国の内部に侵入してから。それからの方が危険なのだろうと夏徳は思っている。霧の国ではない者、
もっとも、霧の国の住民が数千人しかいなとはいえ、住民全てが互いに知り合いのはずもない。見知らぬ者が歩いていたところで、それほどの不自然さはないのではとも思う。いずれにしても、目立つ目立たないは賭けに近いものがあった。
霧の国の内部に侵入し、城門を内側から開けて彼らは脱出する。彼らの脱出と呼応して、陽の国の将兵が霧の国の内部に雪崩れ込むことができれば、勝敗は決するはずだった。それが夏徳の描いた絵であった。