第52話 栓をするように
文字数 1,655文字
「玄 様、いよいよですね」
華仙 の言葉に玄が静かに頷いている。その声には少しだけ緊張の響きがあったかもしれない。華仙は自身でもそう思う。玄の横には普段と変わることがない様子の威候 や黄帯 が控えている。父親と師匠の姿を見るだけで華仙は心強くなる気がしてくる。
海 の国、七万の兵が華仙たちの眼前に迫ってきているはずだった。ただ、七万の兵を華仙たち霧 の国の千名が一気に相手をするわけではない。
玄が殿の陣を置いたのは、左右が切り立った崖と山に挟まれた狭い山道の出口である。その山道は狭く、横に大人が二十人も並べば一杯となる。
まさにその出口に、玄は扇形に一千の兵を並べたのだった。
「ここで栓をするように、海の国を止められたらいいのだけれど」
玄の言葉に威侯は苦笑している。
「一千の兵では、その栓が勢いよく弾け飛ぶだけでしょうな」
「まあ、そうだね。仕方がないね。それではできるだけ上手に弾けてみせようか」
玄は少しだけ笑って言葉を続けた。
「必ず三人が一組となって逃げること。これは徹底されているよね」
「大丈夫です。我々の背後に広がる森林。そこへ向かって散り散りに逃げる手筈です」
威侯の言葉に玄が頷いている。熊 の国の時もそうだし、陽 の国ともそうだったと華仙は思う。上手く逃げるだの、上手く負けるだのそんなことばかりのような気がする。
しかし、一方で玄の判断が間違っているわけでもないと華仙は思う。地形的に有利とはいえ、七万の軍勢を一千の兵が止められるはずもないのだ。
何故、華仙たちが殿を申し出てまで務めるのか。玄の答えは明確だった。ここで功を上げて、陽の国における霧の国だった者たちの地位を向上させたい。それが玄の返答だった。
玄が言おうとしていることは華仙にもよく分かる。しかし、その功のために七万の兵を相手にする殿など危険が大きすぎるのではないか。そう反対する華仙に対して、玄は珍しく厳しい顔をしてみせた。
霧の国の皆が今後、五十年、百年と陽の国の民として穏やかに過ごすためには必要だと玄は譲らなかった。結局、華仙と同じく反対していた威侯も玄の言葉に折れたのだった。
言い出したら頑固なところは小さい時から変わらない。玄がこのような感じになると、華仙はいつもそう思うのだった。
「玄様、もうすぐにでも敵が姿を見せるかと」
威侯の言葉に玄は頷いた。
「陽の国が殿として伏兵を置くとすれば、彼らが通ってきた山道。もしくはここの他にないと海の国も考えているはずだからね。おそらく敵兵は慎重に進んでくる。その先頭の兵が見えたら一斉に矢を射かける。それも極力派手にね。怯んだ敵が態勢を立て直して再度、前進を開始すると同時に僕たちは逃げ出す」
「大丈夫です。武器も鎧も捨てて逃げるように周知しております。玄様も逃げる際、私と黄帯、そして華仙から逸れることのないように」
威侯に言われて玄が苦笑した。
「守られてばかりで情けないけども、宜しくお願いするよ。僕は走るのが得意ではないからね」
不得意なのは走ることだけではないでしょうに。華仙はそう思いながらも玄の体調に一抹の不安を覚えていた。
この日、熱がないのは幸いだった。とは言っても、散り散りに逃げ出して本体の西方軍と合流するまで、最低でも五日はかかるはずだった。
その間は徒歩での移動と野宿を繰り返すことになる。それも敵から逃れながらの行動だ。海の国が逃げ出した自分たちを深追いするとは考え難いのだが、それでも用心して行動しなければならないだろう。それだけでも精神的にも肉体的にも負担が増すはずだった。
そんな華仙の思いを読み取ったように玄が口を開いた。
「大丈夫だよ、華仙。今日はここ最近にないくらい体の調子がいいからね。敵からの追手も、僕には威侯と黄帯。そして、華仙がいるのだから僕は何も心配していない」
玄の言葉が終わると同時だった。黄帯が右手を高々と上げた。緊張した空気が周囲に走るのを華仙は肌身で感じた。
海の国の兵が姿を見せたのだ。それを見て、華仙も矢をつがえて構える。
玄が殿の陣を置いたのは、左右が切り立った崖と山に挟まれた狭い山道の出口である。その山道は狭く、横に大人が二十人も並べば一杯となる。
まさにその出口に、玄は扇形に一千の兵を並べたのだった。
「ここで栓をするように、海の国を止められたらいいのだけれど」
玄の言葉に威侯は苦笑している。
「一千の兵では、その栓が勢いよく弾け飛ぶだけでしょうな」
「まあ、そうだね。仕方がないね。それではできるだけ上手に弾けてみせようか」
玄は少しだけ笑って言葉を続けた。
「必ず三人が一組となって逃げること。これは徹底されているよね」
「大丈夫です。我々の背後に広がる森林。そこへ向かって散り散りに逃げる手筈です」
威侯の言葉に玄が頷いている。
しかし、一方で玄の判断が間違っているわけでもないと華仙は思う。地形的に有利とはいえ、七万の軍勢を一千の兵が止められるはずもないのだ。
何故、華仙たちが殿を申し出てまで務めるのか。玄の答えは明確だった。ここで功を上げて、陽の国における霧の国だった者たちの地位を向上させたい。それが玄の返答だった。
玄が言おうとしていることは華仙にもよく分かる。しかし、その功のために七万の兵を相手にする殿など危険が大きすぎるのではないか。そう反対する華仙に対して、玄は珍しく厳しい顔をしてみせた。
霧の国の皆が今後、五十年、百年と陽の国の民として穏やかに過ごすためには必要だと玄は譲らなかった。結局、華仙と同じく反対していた威侯も玄の言葉に折れたのだった。
言い出したら頑固なところは小さい時から変わらない。玄がこのような感じになると、華仙はいつもそう思うのだった。
「玄様、もうすぐにでも敵が姿を見せるかと」
威侯の言葉に玄は頷いた。
「陽の国が殿として伏兵を置くとすれば、彼らが通ってきた山道。もしくはここの他にないと海の国も考えているはずだからね。おそらく敵兵は慎重に進んでくる。その先頭の兵が見えたら一斉に矢を射かける。それも極力派手にね。怯んだ敵が態勢を立て直して再度、前進を開始すると同時に僕たちは逃げ出す」
「大丈夫です。武器も鎧も捨てて逃げるように周知しております。玄様も逃げる際、私と黄帯、そして華仙から逸れることのないように」
威侯に言われて玄が苦笑した。
「守られてばかりで情けないけども、宜しくお願いするよ。僕は走るのが得意ではないからね」
不得意なのは走ることだけではないでしょうに。華仙はそう思いながらも玄の体調に一抹の不安を覚えていた。
この日、熱がないのは幸いだった。とは言っても、散り散りに逃げ出して本体の西方軍と合流するまで、最低でも五日はかかるはずだった。
その間は徒歩での移動と野宿を繰り返すことになる。それも敵から逃れながらの行動だ。海の国が逃げ出した自分たちを深追いするとは考え難いのだが、それでも用心して行動しなければならないだろう。それだけでも精神的にも肉体的にも負担が増すはずだった。
そんな華仙の思いを読み取ったように玄が口を開いた。
「大丈夫だよ、華仙。今日はここ最近にないくらい体の調子がいいからね。敵からの追手も、僕には威侯と黄帯。そして、華仙がいるのだから僕は何も心配していない」
玄の言葉が終わると同時だった。黄帯が右手を高々と上げた。緊張した空気が周囲に走るのを華仙は肌身で感じた。
海の国の兵が姿を見せたのだ。それを見て、華仙も矢をつがえて構える。