第61話 不穏

文字数 1,959文字

 やはり恥ずかしくて、(げん)の顔を正面から見ることができない。昨晩、あんなことやこんなことをしたことが、されてしまったことが次々と思い出されてくる。

「え、えっと、何だか色々と逆になってしまったね。(きり)の国に帰ったら、威候(いこう)冬香(とうか)に婚姻の許しを貰わないと。許してくれるだろうか。君主ではなくなった僕に」

 昨日の夜にあんなことやこんなことをしておいて、今更そんなことを玄は気にしているのかと思ったら、華仙(かせん)は少しだけおかしくなってくる。

 少しだけ気持ちがほぐれ笑いを堪えるような顔をする華仙を見て、玄は馬鹿にされたのかと思ったのか口を尖らせた。

「そんな顔をしなくてもいいじゃないか。ことは姫とも呼ばれている娘のことなんだ。威侯だって流石に何ていうか。それに、順序も逆だし……」

 順序って、変なことにこだわるのねと華仙は思う。それとも、それは玄に限ったことではなくて、男性とはそういうものなのだろうか。今度、母親の冬香に訊いてみようと思う華仙だった。

「大丈夫よ。父上も母上も喜んで認めてくれるわ。私たちが子供の頃から周りは、それこそ霧の国の皆が私たちは婚姻を結ぶって思っているのよ」
「それはそうかもしれないけど……皆がそう思うのと、本当にそうなるのとは違う話かと……」

 やはり玄は納得できないようだった。
 こういうところは相変わらず煮え切らないわね。そんなことを思った華仙だったが、一方ではそれを気にかけてくれる玄が嬉しかったりもした。

「大丈夫よ、玄。必ず皆が祝福してくれるわ」

 そう言って笑顔を浮かべた華仙に対して、玄は眩しそうな表情を返したのだった。




 それからの数週間は華仙にとっては本当に幸せな日々だった。玄と他愛もないことで笑い合い、二人で先々のことも沢山語りあった。霧の国の行く末を思うと少しだけ気が重くもなったが、それはその時に考えればいいと二人で結論づけたりもした。

 そのような日々の中で夏徳(かとく)が何度か玄の下を訪れていた。その度に華仙は席を外すようにと玄に言われたので、華仙自身は二人が何を話していたのかは分からない。

 本人は書物で得た知識でしかないと言っているが、玄には戦いで人を指揮する能力があるのだろうと華仙は思っている。それは今までの実績から見ても明らかなことに思えた。
 
 となれば、(よう)の国で軍師としてその力を発揮してほしいとでも言われているのだろうか。しかし、玄がそのような話を承諾するとも思えなかった。体調のこともあるが、玄が戦場に立つことを自ら望むことはないだろうと思う。

 それは自分にしても同じなのだと華仙は思う。次に自分が剣を握るとすれば、玄を守る時だけだ。これからも霧の国の民たちが陽の国の要請で、再び戦場に赴かなければならない時もきっとあるのだろう。

 だけれども、その時にも華仙自身は戦場に赴くつもりはなかった。その時、民たちを率いる役目は父の威侯や武芸の師でもある黄帯に任せるつもりだった。それに、華仙が以前のように戦場に赴くことを玄がきっと許さないだろう。

 これからの自分は玄をすぐ近くで支えるだけだ。そして、いずれは子を宿して……。
 それが華仙の純粋な今の望みだった。




 「……ねえ、華仙」

 玄が腕の中にいる華仙に声をかけた。お互いに一糸纏わぬ姿だし、何よりも玄の顔が近くて未だに華仙は恥ずかしかった。

「ひとつ頼みがあるんだ」

 玄はそう言いながら、華仙の黒髪を手先で弄っている。

「明日、僕は手紙を書く。黄帯(こうたい)と一緒にそれを威侯まで届けほしい」

 急な話だった。華仙少しだけ不穏な物を感じる。それは勘と言ってよい類いのものだったかもしれない。

「何だか急な話ね。何かあったの?」

 腕の中で顔を上げて玄の顔を見る華仙に、玄は困惑したような表情をする。

「そんな、心配するようなことではないんだ。ただ……うん、少し相談したいことがあってね」

 少し相談したいこと。
 今後の二人のことだろうか。一瞬だけそう思ったが、華仙はそれを即座に否定した。

 それは流石に浮かれ過ぎなのだろうと思う。今後の二人のことは焦る話ではないし、そもそもそのような話は霧の国に帰ってから、対面で両親に話すべき事柄なのだろう。

 では、一体……。

「ごめん、言い方が悪くて妙な心配をさせてしまったね。霧の国は陽の国になったからね。元君主としては、やることが色々とあるんだ」

 そんなものなのかなと思わないわけでもなかったが、急に持ち上がった話のためなのか何かが妙に気になった。まるで小骨が喉に引っかかって、僅かな不快感がある感じだ。

「大丈夫だよ、華仙。華仙は絶対に僕が守るのだからね」

 玄はそう言って華仙の黒色の頭に優しく口づけた。

「うん……」

 何か胡麻化された気がする。
 そんなことを思いながら、華仙は玄の唇を求めて顔を少し持ち上げたのだった。
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