第44話 兵を損なう責

文字数 1,701文字

 今、華仙(かせん)たちはかつて(うみ)の国の領内であった最前線の進駐地にいる。

「後詰めの兵が約二万。既にこの進駐地にいた兵が五千。なかなかの兵数ですな」

 (げん)を前にして父親の威候(いこう)が感心したように言う。

「もともとはこの地に(よう)の国、二万の兵がいたらしいからね。この先にある天然の要塞、牙城(がじょう)砦を陥落できないままに、陽の国は兵を消耗したらしい」

 威侯の言葉を受けて玄が珍しく厳しい顔をして言う。

 となると、一万五千にも及ぶ兵の命がここで失われたということなのかと華仙は思った。そうなのであれば、自分たちが牙城砦の攻略に参加したところで、砦を奪うことは難しいのではないか。そう考えるのが自然なのでは。

 そして、単純に難しいで済めばいい。だが、難しいということはこちらの被害が大きくなるということなのだ。霧の国の民たちが、多く死んでしまうということなのだ。

 それを考えると華仙は暗澹たる気持ちになる。

「僕たちには指揮権も何もないからね。これから突撃しろと言われれば、そうする他にない」

 そんな華仙の思いに構うことはなく、玄が更に厳しいことを言う。華仙は改めて国が滅びるということは、そういうことなのだと感じていた。

 加えて、玄の顔色が出立してから三か月の間、一向に優れることがなかった。この事実も華仙の心を更に暗く染め上げていた。

 玄は二度、三度と軽い咳をする。そして、華仙の顔を見て苦笑を浮かべた。

「大丈夫だよ、華仙。熱はないみたいだからね。長旅だったから、少しだけ疲れているのかもしれないね」

 少しだけ。そうであればいいのだけれども。
 華仙はそう思いながら玄の顔を見つめる。出立してから三か月。玄はこの軽い咳を頻繁にするようになっていた。

 熱も高熱こそ発しなかったものの、微熱を頻繁に繰り返すような状態だった。華仙は何度となく体調が思わしくない玄を帰してくれと陽の国に訴えたのだが、それが叶えられることはなかった。

 陽の国としては体調が悪いのか何だか知らないが、元君主がそれで死んでくれるのであれば、面倒なことが一つなくなるとでも思っているのだろうか。華仙はそう感じていた。

「華仙、大丈夫だから、そんな顔はしないでくれ。何にしても僕たちは命令を待つ他にないみたいだ。皆には体を休めるように伝えてほしい。これからは過酷な戦いが始まるのだろうからね」

 玄は厳しい顔つきで言うのだった。




 「どういうことなのだ?」

 怒りの言葉を吐き出しながら呂桜(りょおう)が机を平手で叩いた。派手な音が周囲に響き渡り、その音の大きさが怒りの大きさを表しているのかもしれない。

 怒りを顕わにする呂桜を前にして夏徳(かとく)はそう思っていた。

「東方軍と我らの西方軍では格が違いますからな。これも仕方がないかと」

 夏徳の言葉に呂桜は赤みがかった茶色の瞳を向けた。その瞳には明らかに怒りの色が浮かんでいる。

「東方軍が不甲斐ないから、我々が遥か西から駆けつけたのだぞ。それを労わることもなく、後方で待機していろとはどういう料分だ」

 再び呂桜が机の上を平手で叩いた。大きな音が再度、周囲を震わせる。夏徳は八つ当たりをされている机が何となく可哀想になってくる。

 しかし、一方で夏徳には胸を撫で下ろす部分もあった。現時点で難攻不落として存在している牙城砦。ここを自分たち西方軍だけで攻略しろと言われれば、かなりの難儀な話となる。

 既にこの砦の攻略で陽の国は将兵一万五千もの命を失っているのだ。いま呂桜が率いている西方軍は二万を数えているとはいえ、大半はかつての諸国から寄せ集めた兵でしかない。

 こちらの指揮に従って不備もなく動いてくれるかも分からぬ兵を率いて、牙城砦を攻略することは不可能に近いだろう。

 そこまで考えて、夏徳はいや違うのかと思う。陽の国は併合した国々の力を単に削ぎたいのだ。ならば、兵の数を減らすために無謀な策が繰り返されるかもしれない。

 そして、兵を損なう責は誰の物となるのか。
 夏徳は怒りを顕わにしている呂桜に視線を向けた。責は当然、それを率いる将軍のものとなる。

 その時まで、待機していろということか?
 そこにまで考えが至ると、夏徳の口の中で苦い味が広がっていく。
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