第27話 斬り込み

文字数 1,598文字

 長剣を手にして勢いよく梯子を降りた夏徳(かとく)だったが、武芸に関しては全くと言ってよいほどに自信がない。そもそも、実際に戦場も含めて剣を抜いたことなど、数えるぐらいしかなかった。勿論、剣で敵兵と斬り合ったこともない。
 
 それでもないよりはましだろうとの思いで、夏徳は長剣を片手に呂桜(りょおう)を探す。
 あの時、呂桜は動きの鈍い前線の兵を叱咤激励するとか何とか言っていたはずだった。よりによって間が悪いと夏徳は思う。

 その時、前線でどよめきが起こった。見なくても分かる。城門から出てきた先程の騎兵が突撃してきたのだろう。

 相手が少数とはいえ、虚を突かれて最前線は混乱に陥っているはずだった。

 呂桜はどこにいるのか? 
 もし、最前線にいたら。もしも、突撃してくる威候(いこう)の前に呂桜がいたら?

 夏徳の背を冷たい汗が流れ落ちていく。

「おい! 呂桜将軍は?」

 騒ぎが起きている前線に何事かと視線を送っていた兵長が夏徳の視界にいた。その者の襟首を夏徳は乱暴に捕まえた。

「お、おい? 貴様、何をする?」

 兵長は驚いた様子を見せながらも尖った口調で言葉を放ったが、すぐに相手が軍師の夏徳であることに気がついたようだった。

「軍師殿、これは一体?」
「呂桜将軍はどこだ?」

 兵長の言葉には取り合わずに夏徳は同じ言葉を口にした。

「は、はあ。将軍はおそらくこの先に。最前線で我らを激励すると仰せでした。それよりもこの騒ぎ、何なのでしょうか。軍師殿は何かご存知ですか?」

 兵長はどこまでも呑気なようだった。
 最前線で激励。どこまでも好戦的な姫様だと夏徳は思う。

「おい貴様、配下の兵は何人だ?」
「はあ、五名ですが」
「よし、そいつらを連れて、俺を呂桜将軍が向かった方向に連れて行け。今すぐにだ!」
「は、はあ、一体、何が?」
「いいから、早くしろ! 叩っ斬るぞ!」

 夏徳の剣幕に尋常でないことをようやく感じ取ったのだろう。兵長は短く返事をすると、配下の兵を求めて左右を見渡す。

 いずれにしても呂桜を見つけることが、まずは優先すべきことだった。そもそも突撃してくる者が威侯だとは限らない。遠目から見たあの大柄な男が本当に威侯だとしても、威侯が突撃する先に呂桜がいるとは限らないのだ。全ては無用の心配であるのかもしれない。

 理屈では分かっているが、先程から嫌な予感と嫌な汗が止まらない。偶然は時に信じられないことを起こす。だからこそ偶然と言うのだ。そのことを夏徳は知っていた。

 夏徳は表現し難い嫌な予感を自身の中で、感じているのだった。




 「父上、威候将軍!」

 結局、勢いの余りついてきてしまった。馬上の華仙(かせん)は心の中で呟いていた。
 背後から追ってきた娘を見て、威侯も流石に少しだけ驚いた顔をしている。

 華仙、心配ならばついて行くといい。ただし、無茶は駄目だからね。危ない真似をしてはいけないよ。

 (げん)に言われた言葉が華仙の中で蘇ってくる。まるで、子供を諭すような言葉だったとも思う。そもそも、ここは戦場なのだ。危ない真似も何もないだろうと思う。

「華仙、玄様のお側に何故いなかった」

 威侯はそう言ったものの、華仙を強く非難する響きはなかった。

「私も(きり)の国、将軍家の者です。霧の国の威を示すのであれば、私にもその一翼を担わせて下さい」

 その言葉に威侯は面白そうな笑い声を上げた。

「いつの間にか、一人前のことを言うようになった。最早、子供ではないということか。いいだろう、華仙。同行を許そう」

 威侯は次いで、隣で馬を並走させていた黄帯(こうたい)に顔を向けた。

「黄帯、華仙の傍にいてくれ。華仙に何かあれば、玄様に面目が立たぬ」

 黄帯は無言で頷いている。そんな二人の様子を見て、結局は子供扱いじゃないと華仙は思う。

「姫様、頬が膨らんでおりますよ」

 黄帯のそんな指摘に、華仙はまた子供扱いしてと思い、黄帯を軽く睨みつける。黄帯はそんな華仙の反応を受けて馬上で苦笑を浮かべたのだった。
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