第2話 若き君主

文字数 1,598文字

 そんな(げん)の不平には取り合わず、華仙(かせん)は口を開いた。

「どうせまた遅くまで本を読んでいたんだしょう? 兵法だか思想だか知らないけど」

 華仙の少しだけ皮肉めいた問いかけに玄は答えない。そんな様子の玄に華仙は続けて問いかけた。

「今朝の体調はどうかな。熱とかはないの?」

 華仙の言葉に玄は渋い顔となる。

「その問いかけも朝の挨拶代りになっている。それも止めてほしい。さっきも言ったけど、僕はもう子供ではないんだ。具合が悪ければ、具合が悪いと自分から華仙に言うのだからね」
「知ってる、玄? 子供に限って、子供じゃない、子供じゃないって言うものらしいわよ」

 華仙は悪戯をするような目で玄を見る。玄もそれを感じたようで、頬を軽く膨らませた。

 玄のそのような様子はとてもではないが今年、十九歳になる者がするような行為ではない。だけれども、こんな様子の玄でも民たちの前に出る時は、君主然とした顔をしていたりもするのだ。
 それもあってなのか玄は分類するのであれば、民たちから慕われている君主だと言ってよさそうだった

 そして一方で、こんな無防備な玄の顔を知っているのは、幼馴染みでもある自分だけなのだとも華仙は思ったりもする。華仙にとってはちょっとした優越感なのだった。

「玄、今日は威候(いこう)将軍と東の狩場へ巡察に行く予定よ。だから、体調がいいのなら安心ね」

 華仙はそう言って自分の父親である威侯の名を出した。華仙の家は代々、(きり)の国において将軍として兵たちを指揮することを司っている。
 ちなみに華仙が霧の国の民たちに姫と呼ばれているのも将軍家の娘なのだからであった。

 もっとも霧の国における将兵など、その数はたかが知れている。専業の兵士などは五十名ほどで、後は有事の際に民たちが兵士となる仕組だった。

 そして、その有事が迫り来る雰囲気があった。近頃、霧の国が領有している東の狩場で霧の国に隣接する(くま)の国の民らしき者たちが頻繁に目撃されていた。

 国境を接している霧の国と熊の国は長い年月の中で度々揉めている。よってお互いの感情は相当に悪く、その根も深いものがあった。

 それに、そもそも東の狩場は数十年前まで熊の国のものだったという事情もある。

「君主の立場である僕は行かない方がいいと思うけどね。僕が行くと、何かあれば霧の国として後には引けなくなってしまう」

 玄の言葉を聞いて、またこの前の話を持ち出してきたと華仙は思う。この議論はもう終わったはずだった。玄の言うことも間違ってはいないのだろうが、これは国と国の話なのだ。気弱な部分を見せれば必ずつけ込まれてしまうのではないだろうかと華仙は思っていた。

 東の狩場をもしも失うことになれば、決して豊かとはいえない霧の国の食糧事情に大きな打撃を受けることになる。当然、霧の国にしてみれば、それは必ず避けなければならないことだった。

 ならば、不毛な争いなどは止めて、熊の国と友好的な取り決めを結んで両国で狩場を共有すればいい。そんな意見が出てきそうなものなのだが、生憎と互いの歴史がそれを許さなかった。

 長い歴史の中で大小の衝突を幾度となく繰り返してきた二つの国である。互いに恨みつらみを抱えている。それが融解することなど両国ともにあり得ないことだった。
 簡単に表現するのであれば殴られたから殴り返す。それを遥か昔から互いに終わることもなく、飽きることもなく繰り返しているのだった。

「玄の気持ちも分かるけど、玄は君主なのだから。霧の国を導いて守る使命があるのよ」
「それは分かってるよ、華仙。だからこそ言っているんだ」

 玄が少しだけ口を尖らせてそう反論する。玄がそういった顔をすると、いつも子供のような顔になるのだと華仙は思う。
 そんな思いを抱きながら早く準備をとばかりに華仙は玄を促した。

「さあ、準備をしましょう、玄」

 口では不満を述べていたものの、華仙の言葉に玄は素直に頷いたのだった。
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