第64話 望むのならば

文字数 1,561文字

 「悪名高き牙城(がじょう)砦も遂に陥落した。これで(うみ)の国の命運も終わることだろう」

 馬車の中で正面に座る呂桜(りょおう)夏徳(かとく)にそう語りかけてきた。

「あれから五年でしょか。少々時を費やし過ぎましたな」

 夏徳の言葉に呂桜が面白くなさそうに鼻を鳴らした。

「さっさと私やお主を牙城砦攻略の任につかせないからだ」
「さあ、どうなのでしょうか。いずれにしても、(うみ)の国制圧の功は凱鋼代(がいこうだい)将軍に譲った方が無難でしょうな」

 その言葉に呂桜が再び面白くなさそうに鼻を鳴らす。

「身に余る功は、その身を滅ぼすかもしれんといったところか?」

 夏徳はその問いかけに言葉を返さなかった。呂桜も返事を求めていたわけではなかったようで、そのまま黙り込む。

 少しだけ沈黙の時が訪れた。馬車はもうすぐ、かつては(きり)の国と呼ばれた地域に着く頃合いのはずだった。最近ではその地域を霧の国と呼ぶ者も少なくなってきている。夏徳は漫然と少しだけ懐かしく感じる顔を思い出していた。

 そうして訪れた沈黙を先に破ったのは呂桜だった。

「それにしても、お主がこの訪問に帯同するとは思わなかったぞ」
「以前より、一度は会って謝らねばと思っていましたので」

 夏徳はその地で姫と呼ばれていた少女を思い浮かべながら口を開いた。

「そうか……だが、庇うわけではないが、お主に非があったわけでもない」
「それは承知しております。私もそこまで殊勝な人間ではありませんよ。ただ、私がいらぬ期待を彼らに抱かせてしまったかもしれないのも事実」
「あの時、彼らに医者を紹介したのは自然な流れだ。先の未来が分かる者などいないのだからな」
「それにしても……でしょうかね」
「お主は随分とあの君主を買っていたからな」

 呂桜が微笑を浮かべる。

「さあ、どうでしたか。所詮は昔の話です。ですが、もし(よう)の国が存在しなければ、歴史にその名を残すような君主になっていたかもしれませんね。あるいは陽の国でも、その存在を示していたかもしれません」
「陽の国か……この国はどこに向かってしまうのだろうな。我が国ながら、ふとそう思う時がある」

 呂桜が呟くように言う。海の国を滅ぼせば、陽の国は大陸の半分を手中に収めることになる。歴史上に類をみない大帝国の誕生だ。

 しかし、あまりにもその版図は大きくなりすぎた。余りにも多くの国々を滅ぼし過ぎた。その反動は各地で見られ、陽の国から離叛を模索する地域も一つや二つではなかった。

 離叛する地域には苛烈な対処をする。それが今の陽の国といってよかった。それが歪みを生み出し、その歪みがまた更なる歪みを生み出す。その連鎖は終わることがないように夏徳には思えていた。

 かつての陽の国は王者の風格で(こう)教の教えの下、併合した地域を迎え入れて包み込んでいたはずだった。その精神は今やどこにも見られなかった。今の陽の国に王者としての余裕はどこにもなかった。

 海の国との争いがあまりに長すぎたのかもしれない。陽の国の民たちは疲弊し切っていた。一方で、政を行う中央は腐り切っており、粛清や賄賂などが公然とまかり通っている状態だった。

 今、民たちが望むのは清廉な王者か。

 夏徳は灰色にも見える薄い黒色の瞳を正面に座る呂桜に向けた。呂桜はそんな視線の意味が分からないといった感じで小首を傾げる。

「呂桜将軍、将軍が望むのならば、私が国でさえも切り取り奪ってみせましょう。例え……それが陽の国だったとしても」

 その言葉に呂桜は少しだけ黙した。そして、ゆっくりと口を開く。

「夏徳、お主が言うと冗談には聞こえぬな。それに、お主は面倒なことが嫌いではなかったのか?」

 呂桜の返答に夏徳は苦笑を浮かべた。

「そうですね。牙城砦を陥落させたことで、柄にもなく少し気が高ぶっているようです。忘れて下さい……」

 予想外に熱くなった自身に夏徳は苦笑を浮かべたのだった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み