第55話 療養

文字数 1,584文字

 (げん)の寝室を訪れた華仙(かせん)は早速、先程の丁統(ちょうとう)との遣り取りを玄に伝えた。

「確かにそうだね。帝都ならば優秀な医者もいて、この病の原因も分かるかもしれない。原因が分からないまでも、効果がある薬もあるかもしれないね」

 寝台で上半身を起こしていた玄はそう言った後、少しだけ咳き込んだ。軽い咳なのだが、こうも続いていると嫌な印象を拭うことができなかった。華仙は玄の背中を擦りながら口を開いた。

「大丈夫? 咳が続いているみたいね。それに今日は熱も高いみたい」
「大丈夫だよ、華仙。いつもとそうは変わらない」

 強がっているのか玄はそう言ったが、玄の濃い茶色の瞳はいつもよりも発熱で濡れているように思えた。

「ほら、そんなことを言って強がっていないで、横になりなさい」

 華仙が言うと玄は素直に従って横になる。やはり、(うみ)の国への遠征が体に堪えたのだろうと華仙は思う。

「大丈夫だよ、華仙。そんなに心配する必要はないよ。いつもの熱だから大丈夫だ」

 玄は何事もないような顔で言うが、そもそも熱が出ているのだ。いつものであろうがなかろうが大事でないはずがない。

 しかし、それを口にすることはなく別の言葉を華仙は口にした。

「でも、ありがとう、玄」

 急に言われたお礼の言葉に、横たわった玄は意味が分からなかったようで不思議そうな顔をする。

「お礼を玄に言えていなかったなって思ってね。海の国との戦いから皆が無事に帰ってこられたのは、きっと玄のお陰だから。(きり)の国の皆も玄にはとても感謝しているのよ」

 その言葉に玄は首を左右に振った。

「それは違うよ、華仙。僕はきっかけを考えたに過ぎないのだからね。実際に頑張ったのは霧の国の皆だよ。それに加えて言えばあの時、海の国を撃退できたのは呂桜(りょおう)将軍や夏徳(かとく)殿によるところが大きかっただろうね。あの指揮があったからこそ、(よう)の国は七万もの兵を押し返すことができたんだよ」

 玄の顔を見ながらそんなものなのかなと華仙は思う。確かにあの後、陽の国は東方軍を中心として本国からの援軍を含めた総勢三万の将兵が、凱鋼代(がいこうだい)将軍に率いられて牙城(がじょう)砦にその勢いのままで攻め込んだ。だが、その勢いも空しく海の国によって、三万の将兵が見事なまでに粉砕されたとの話だった。

 それを聞く限りではあの時、七万もの軍勢を押し返した呂桜や夏徳の指揮が優れているということなのかもしれないと華仙も思う。

 牙城砦の城門前は陽の国の兵で死屍累々となり、大地が赤く染め上がって血の川が流れたと聞いている。その戦いに霧の国が巻き込まれなかったのは、単に運がよかっただけなのかもしれなかった。

 もし、あそこで玄が殿を買って出なければ、霧の国も牙城砦攻略に巻き込まれて、今頃は華仙も玄もここで呑気にこのような話などできていなかったかもしれない。

「ねえ、玄。もしかして、それも見越して殿の役目を買って出たの?」

 華仙の言葉に玄は苦笑した。

「流石にそれはないよ。僕には預言者みたいに先を見通す力なんてないからね。ただ、僕は陽の国に恩を売っておきたかっただけだよ。あそこで霧の国が何かしらの功を得ることができるのであれば、陽の国の中で僕たちの地位も少しは向上するかなって思っただけなのだから」
「そっかあ。でも、結果としては全てが上手くいったものね」

 華仙は大きく息を吐き出して、天井を見上げた。そして、再び玄に黒色の瞳を向けた。

「後は玄の体を治すだけね。熱が下がったら病気療養のために帝都に行けるよう、丁統殿に頼んでみるわね。だから玄はその時のために、帝都に行けるぐらいには体調を戻しておかないとね」
「そうだね。今は華仙の言う通りにするのがよさそうだ」

 華仙の言葉に玄は頷いたのだった。

 だが、それから僅か一日後のことだった。玄に帝都へ来るよう呂桜の名で命が降ったのだった。

 ……それは華仙も、そして玄も望んでいた病気療養の話であった。
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