第22話:精神科の久光先生の話2

文字数 1,678文字

「東大医学部に入り直そうと考え、自分の両親に話すと、資金的な問題はないから、構わないよと言われた」。
「ところが、東大医学部は、そう簡単に入れない」。
「といっても、私立大学は、とてつもない金額が必要」。
「しかし最後までやり抜くタイプなので医学部受験の進学塾で2年猛勉強して合格確立が高くなり、新潟大学なら手が届く所まできた」。

「翌年、受験して合格勝ち得て、新潟大学医学部に合格したのが8年前」。
「その後、6年して精神科の医局に入り週に3回、病院と開業医で診察していると語った」。
時計を見ると21時となった。久光先生に八海山でも飲みますかというと、是非、飲みたいというので一升瓶を持って来た。1杯飲むと、ところで伊藤君、何か質問はないかと聞いた。

 少し飲んで考えて質問しますと言い、小さなグラスに八海山の冷やを注いで、2人に渡した。
「1杯飲んで、伊藤が、確かに都会で生活してるとストレスが半端ないから心癒やしてくれる先生の診療はありがたいし、ニーズがあると思います」。
「しかし、のんびりとした新潟ではどうですかと質問した」。
「質問の意味は、よくわかるし、その通りかもしれない」。

「でも、ここ十日町でも雪に埋もれて過ごす約半年で、うつの症状も出てくるし都会とは違った精神的な厳しさがあると思うがねと言った」。
「すると、一緒に来た内科の池内先生が、うつ病の人が、実は多いと告白した」。
「何というか閉鎖社会みたいで、若者も、それが嫌で、都会の自由な空気にあこがれ出て行くのだと語った」。
「確かに、それは、あるかもしれないと伊藤も納得した」。

 久光先生の言った、3つの言葉が、伊藤の頭の中を刺激した。3つの言葉とは以下の3つである。
「精神的なダメージを受けて精神に異常を来した人を癒やす」。
「これは、世のため人のためにもなる」。
「それで、お金が入る、まさに理想的」。
これらの話を聞いて、伊藤も全く同感ですと答えた。

「この意見に対して、君も僕と一緒に、金持ちが集まってる田園調布、世田谷、鎌倉、目黒、銀座、新宿、渋谷あたりで、ビルの1室を借りて、一緒にやらないかと笑いながら言い終えた」。
「伊藤が、それ、良いかもしれませんねと、思わず、同意した」。
「池内先生が、話が面白い方向になってきましたねと笑顔になった」。
そうしてるうちに22時近くなりタクシーを呼んでと言われ手配した。

「最後に、伊藤が、久光先生に、今日は、本当の興味深い話を聞けて光栄ですと言うと、お礼に、この本をやろうと1冊の文庫本をくれた」。
「隠れた僕のベストセラー本だと照れながら言った」。
「ありがとうと頭を下げると、君は、面白い男だ、また、機会を作って、大いに語り合おうと言い、何とハグしてくれるではないか」。
「実に、面白い先生だと感心し、また企画しますと耳打ちすると待ってると言い帰っていった」。

 その後も、毎月の様に、冬以外は、久光先生、池内先生との3人会を継続して2年、1986年も継続した。そして、1987年6月2日、伊藤の奥さんが2人目の男の子を出産し伊東隆二と命名した。奥さんの実家でも男の誕生をたいそう喜んでくれた。そして、奥さんの両親や店の人達が、可愛い隆二の顔を見にきては、あやして、くれるようになった。

 そして、11月、12月となり1988年を迎えた。
「4月の久光先生と歓談してる席で、伊藤君、君、株投資やってるかと言われ、もう、既に9年前からやってますと言うと、それは賢明な判断だと言った」。
「久光先生も医者の給料と同じ位、稼いでるとよと言った」。
この年、営業所の売上げも全国1で伊藤個人も伸び率全国1の成績を上げ報奨金と課長手当もあり念願の年収1千万円を超した。

「久光先生も18歳の時、父の知り合いの店に就職したことにして証券口座を開いたのが1958年頃から株投資をしていると言った」。
「新潟に来て、もう10年たち東京が恋しくなったと珍しく弱音を吐いた」。
「先生は結婚してるのと伊藤が聞くと、そんなめんどうな事はしないと答えた」。
「でも、恋人は複数いると言い含み笑いを浮かべた」。
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