第33話:悩みのクリニックの閉院と久光先生の脳梗塞

文字数 1,591文字

「外来患者数が減り『悩みのクリニック』の赤字なので閉院し始めた」。
2007年5月、3施設を閉院。2007年12月、久光先生から電話が入り相談したい事があると言われた。面会すると今年一杯で「悩みのクリニック」、2007年中に全て閉鎖すると言った。僕の資産も多分、全部精算すると、なくなると久光先生が話した。その後「悩みのクリニック」有限会社の登記も抹消した。

「君に借りた2003年4月に借りた5億円の全額、返せないかもと言った」。
「その話を聞いて伊藤が久光先生に家族はと聞くと今はいないと言った」。
「内縁の妻は、金回りが悪くなると実家に帰った」。
「親しくしてくれた女性たちも、みんな去った」。
「今、6畳1間のマンションに1人で住んでいると言った」。
「これを聞いて伊藤光一は、久しぶりにめまいを起こし倒れた」。

「幸い、カフェのソファーに横になり30分位で元に戻った」。
「その後、今度、どうするんですかと、伊藤が、久光先生に聞くと、私は、東京大学の精神科に行き、アルバイト先を探して働き、君に借金を返すと言った」。
「そして、久光先生は、東大病院精神科医局に出かけるようになった」。
「病院でのパート、医局での仕事、研修医の指導、アルバイトを掛け持ちした」。

 2008年の春休み、伊藤光一の息子の隆二が、ソニーバンクの研修を3週間。その後、夏休みにSBI証券の研修を3週間行った。
「今後、銀行よりも投資関連の方が、将来性があると判断して、10月にSBI証券を受験して、11月に内定をもらった」。
「2009年4月から六本木のSBIホールディングの本社で研修を受けた」。
「SBI証券のコールセンターでの仕事を始めた」。

 その後2008年9月15日のリーマンショック後、日本では直接的な被害は少なかったが世界中の株価の下げが波及し日本株も下げが大きい。そんな時、2008年11月21日、朝、三菱商事の気配値が925円となっていたので安いと思い、30万株成り行き買いを入れ、27750万円で買え、残金が22250万円となった。この頃には、手数料が格安のインターネット証券で株取引を始めた。

「久光先生と、2009年9月以降、連絡が取れなくなり心配になった」。
「11月25日、東京大学病院精神科を訪ねると久光先生がアテローム血栓性脳梗塞で倒れた事」。
「10月、箱根リハビリセンターに転院したと聞かされた」。
「翌26日、伊藤光一が、車で箱根リハビリセンター行った」。
「そして、久光俊三という名前を言うと病室番号を教えてくれ面会名簿を書き病室へ入った」。

「その後、伊藤光一が、久光先生の顔を見ると、ばつが悪そうに苦笑いした」。
「久光先生は、左半身に、麻痺を起こしていた」。
「開口一番、申し訳ない、こんな所まで来てもらってと言った」。
「薬物療法とリハビリで、随分、良くなった」。
「もう少しリハビリをして自分で生活しないと退院できないと答えた」。
「どの位かかるのかと聞くと、2週間から4週間と言われていると語った」。

「退院の日が、分かったら電話して、迎えに来るからと告げた」、
「申し訳ない、迷惑ばかりかけてと涙目で言うと長い付き合いじゃないですか」。
「そんな、みず臭いことは言いっこなしですよと声を荒げた」。
「すると伊藤の手を握って、本当にありがとうと言いながら涙を流した」。
「そして、これがマンション鍵だと言い、渡してくれた」。
「来る時、箪笥の引き出しにバッグがあるから持ってきてと言われた」。

「キャッシュカードや重要書類が欲しいと言うので了解と答えた」。
「その後、12月25日に退院なので宜しくと電話が入った」。
そこで、25日、伊藤が、昼頃、箱根リハビリセンターに行った。
「その時、気になったので久光先生の預金通帳を見ると、ほとんど金がない」。
「病院に着き看護婦さんの詰め所に寄り自分の名前と間柄を書いた」。
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