第34話:久光先生の退院後の死

文字数 1,710文字

「その時、つかぬ事をお伺いしますがと言い今日退院しますが、治療費の清算はどこでするのですかと聞いた」。
「事務で、名前を言いと明細書をもらい支払うと教えられた」。
「また、久光先生の病室に行くと、既に、着替えていた」。
「先生は、麻痺があるから、僕が精算しておきましたとだけ言った」。
「先生は、悪いなーと、言いながら、ゆっくりと歩き出した」。

「エレベーターで1階へ行き、保険証と診察券を渡した」。
「数分後、診察券番号が掲示板に表示された」。
「行くと請求書が出て38万円の請求書をもらい支払った」。
「その後、車をも玄関に回すから、待っててと言うと、うなづいた」。
「車を玄関に回し、久光先生を後部座席に座らせて走り出した」。
「自宅に帰っても誰もいないから私の家に来てと言うと大丈夫だよと言った」。

「いや危ないから私の家で、ゆっくりして下さいと言うと本当に申し訳ない」。
「それでは、お世話になりますと言った」。
「その後12時過ぎに、鶴川の自宅に帰り夕食を食べてから伊藤光一の書斎で寝てもらった」。
「その後、11月4日、もう大丈夫だからと言い、久光先生は、自宅へ向かい、途中、銀行に立ち寄って帰った」。
「そしてリハビリの病院の領収書見せてと言わ治療費38万円を伊藤に渡した」。

「家に帰ると食事は、宅配でも頼むから大丈夫と久光先生が言った」。
「伊藤は、何かあったら電話してと言うと、お世話になり申し訳ないと先生が、お礼を言った」。
そして2009年が終わり2010年を迎えた。
「その後、久光先生は、電話で、おかげ様で、左に多少麻痺は残るが、普通通り生活できると言い、東京大学精神科で勤務し始めたと話した」。

 一方株の方では2010年1月15日、朝、三菱商事の気配値が2500円で、すぐ全株の30万株、成り行き売りを出し売れ、税引き後利益4.2億円、残金が約6.5億円。

 その後、日本航空が1月19日、会社更生法の適用を東京地裁に申請、経営破綻。負債額は約2兆3千億円と事業会社では過去最大。京セラ創業者の稲盛和夫氏を会長に迎え政府が出資する企業再生支援機構の下で再建を目指す。事業規模を3分の2に圧縮するとし内外45路線からの撤退やグループで約1万6千人の人員削減など抜本改革に着手。

 パイロットや客室乗務員の退職数は目標に届かず、最大200人を整理解雇する。更生計画は債権放棄に応じた銀行団などの合意を得て11月末に確定。支援機構は公的資金3500億円を出資した。11年3月末に更生手続きを終結し、12年中の再上場を目指す事が決定した。

「2010年1月28日、東京大学精神科の事務の人から突然、久光先生が死亡と連絡が入った」。
「急いで、病院に駆けつけ、医局の関係者から話を聞き始めた」。
「精神科病院の当直明けの朝、事務の人が電話をしたが応答がないので鍵を開け当直室に入った」。「すると、既に先生は冷たくなっていたと話した」。
「近くの救急病院に運ばれたが心筋梗塞で亡くなっていたと言う」。

「伊藤が医局を訪問したので肉親の方はおられるのですかと聞かれ、知りませんと答えた」。
「そこで十日町病院の池内先生に電話をして状況を話した」。
「久光先生について聞くと、彼は、あー言う人で、ちょっと変わっている」。
「実家と折り合いが悪くなり、東京を飛び出して、新潟に来たと言った」。
「なんでも、お父さんは、偉い役人さんらしいが詳しい事は、知らないたと言った」。

「久光先生の葬儀の日程決まったら知らせてくれと言われ了解と言い電話を切った」。
「伊藤と葬儀社で斎場を探し2月3日、東京の外れの斎場で11時から葬儀をする事になった」。
「東京大学の精神科から手伝いに若手4人が来てくれた」。
「伊藤には9時に斎場に来てくれるように連絡が入った」。
「葬儀当日、あいにく、時雨模様の日だった」。

「しかし11時には新潟大学の精神科2名内科3名十日町病院から2名が来た」。
「東京大学精神科の教授と医局員4名が参列してくれた」。
「花輪も新潟大学精神科教授、十日町病院院長、松平医院からも来て立派な葬式となった」。
「香典も多く十分に葬儀の費用は出せると伊藤は、内心、安心した」。
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