第31話:子供の成長と悩みのクリニックの開業

文字数 1,625文字

 娘の百合ちゃんが、1997年3月鶴川小学校を卒業し、4月、企画の鶴川中学校へ入学。 息子の隆二も1999年3月鶴川小学校を卒業し、4月、企画の鶴川中学校へ入学。百合ちゃんが中学を卒業し、2000年に町田高校を受験して合格して通い始めた。隆二も中学を卒業し、2002年に町田高校を受験して合格して通い始めた。

 2000年2月22日、朝、証券会社の担当者からソニー株が33150円で気配値が出てると言われ成り行きで全株・2万株売りを指示、すぐ売れて、税引き後利益6億7千万円となり残金が、10.3億円となった。2000年4月に久光先生から電話が入り、医療法人「悩みのクリニック」が、成功して東京で10軒でき、投資金が足りなくなると電話で言われた。

 そこで直接面会し、今回は、3億円借りたいと言われ。毎年1億1千万円ずつ3年で3.3億円にして返すと言う条件で貸すことにした。その条件で返却すると言う条件を書いた借用書をもらい送金すると残金が7.2億円となった。その後2001年6月、1億1千万円が返却されて、残金が8.3億円となった。

  2003年1月下旬、長女の伊藤百合は、中央大学経済学部を受験に合格。自宅から40分かけて通い始めた。英語が得意なので、それを生かすために大手商社に就職するのも目指していた。そして、2003年4月に、「悩みのクリニック」を神奈川に5軒、埼玉3軒、千葉に3軒の計11軒、開設するので5億円、貸して欲しいと言われて、金額が大きいので、即決せず、1週間ほど、考えた。

その結果、残金が5億円以上残るから久光先生に貸すことを決めた。ただし、今回で、貸すのをやめることにすることも説明した。2003年5月6日、伊藤は、直接、久光先生に面会して、今回、5億円を貸すが、これで、最後にしたいと話すと、久光先生も今回の「悩みのクリニック」11軒の開設で拡大計画は終了するつもりだと答え、大金を貸してもらって、本当に感謝してるよと言われた。

 ただし今回は金額も大きいので6千万円を10年払いで6億円にし返すと言う条件をのんだ。 翌日、返済計画書と借用書をもらい久光先生の口座に5億円を送金した。その結果、残金が5億円となった。しかし、いまだに、バブルの後処理が続いた。日本政府は2003年5月と11月に預金保険法に基づく金融危機対応会議を開き、りそなGと足利銀行への公的資金による資本注入を決めた。

 注入規模はりそな銀行が2兆円前後、足利銀も1兆円前後とみられる。りそな銀は過小資本改善のための増強策だったのに対し、債務超過が判明した足利銀は破たん処理を余儀なくされて株主責任が問われるなど、明暗を分けた。日経平均株価は4月28日、7607円88銭まで下落し、バブル後最安値を更新。

 しかし、内閣府は2003年9月景気動向指数「速報値」の基調判断を半年ぶりに上方修正した。これらの影響で2004年頃から「悩みのクリニック」の外来数が伸び悩み始め2005年、借入金を返済すると利益が出なくなり始めた。2006年の夏以降、「悩みのクリニック」の外来数が目に見えて減少し、赤字の月が増え始めた。そのため久光先生の資産を取り崩し始めた。

 一方、伊藤家では、2005年1月、伊藤隆二が、東京都立大学経済学部を受験し合格。自宅から、晴れの日はバイクで30分かけて通い始めた。雨や雪などの時には電車とバスを乗り継ぎ45分かけて、京王相模原線の南大沢駅近くの都立大学南大沢キャンパスに通った。将来は、金融関係の会社に、就職することを目指していた。

 その後、日本の金融安定化をはかるため、絶対につぶれない銀行として、超巨大金融機関として三菱東京フィナンシャル・グループとUFJホールディングスが経営統合することで7月、基本合意。2005年10月の統合を目指しており、実現すれば世界最大の金融グループになり、日本の金融の安定性を世界にアピールできると考えた。
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