第29話:全員で、診療の模擬テスト

文字数 1,649文字

 9月22日、女性の薬剤師さんと受付の女性が9時に診療所に入ってきた。そして、挨拶して、事務用品やその他で、必要なものがあったら言ってくれと言うと、大型電卓が欲しいと事務員と薬剤師さんもが欲しいと言った。カレンダー、メモ用紙、大学ノートは5冊、ハサミ、ホッチキス、ボールペン10本、鉛筆削りとHBの鉛筆1ダース、ティッシュと小タオル5つ。

 それらを伊藤がメモして、受付の女性と一緒に買いに行った。そして、10時過ぎには、要望されたものを全て買ってきた。その後、少ししたら、伊藤君を患者さんに見立てて模擬試験をしますと久光先生が言った。10分後、必要品の確認を終えた頃、模擬テストをしましょうと久光先生が言った。最初は、普通の大人しい患者さんを想定して始めた。

 受付をして診察券を作り、どうぞ、お入りくださいと言われて伊藤が診察室に入り、先生が問診して、伊藤は、この頃、眠れなくて睡眠薬欲しいと言うと処方箋に書き、その他、困ったことはないかと、時々、興奮するときがあると言った。すると弱い睡眠薬とマイナートランキライザーを処方して、先生が処方箋を薬剤師に渡した。その後、弱い睡眠薬とマイナートランキライザー2週間分袋に入れて1日3回服用を指示。

 その後10月1日から西武池袋沿線、東武東上線の沿線の新聞広告と新宿、池袋の近郊地域の新聞広告に池袋「悩みのクリニック」が10月11日にオープンとの診察内容や時間などの情報を乗せえた。最初の週は、東京大学病院からの照会患者さんが10日前後で来て、翌週は10人を超えた。11月になると20人を超える日が増えた。12月には30人まで増えて軌道にのったと久光先生が語った。

 そして 12月12日以降は、久光先生だけでは、間に合わず、東京大学の精神科から月曜から金曜、日替わりで若い先生が来るようになった。この成功について、久光先生が「悩みのクリニック」の名前が受けたのではないかと推測し「悩みのクリニック・池袋」と改名した。

 そして、伊藤が、私には、きついので他のスタッフを探して欲しいと言うと、1990年正月休みに探してみると言って、無理しないで、やめて下さいと言われ、良く年、東京大学で医師になれなかった連中を募集して、事務長を交代でやるようになった。その他、新聞広告も出した。一方、伊藤の方は。やっぱり。大勢の人を相手にすると、ストレスで1日の勤務が持たなくなった。

 そして1990年2月の休みの日に、伊藤は、久光先生に、投資と言う形で、協力しますと申し出ると、それは、助かると快諾してれた。1989年から伊藤は、家庭教師の仕事を夜18時から20時まで、するようになった。それ以外は、家でゆっくりしていた。そして、再び調子が戻ってきた。この時、奥さんの由紀さんが、伊藤光一に、無理しないで長生きしてと言われ了解した。

 その後、1990年8月には、伊藤光一一家3人で、北海道へ8月6日から2週間、札幌に初日と最終日に泊まり、それ以外は、全て、釧路に泊まった。そして8月20日から末まで休み、9月から家庭教師を続けた。そうして1990年が終わり、1991年を迎えた。1991年も春に熱海、箱根に行き、温泉を楽しみ過ごした。

その頃、残金が4億円と減った。1992年6月、久光先生から電話で、日曜日、新宿で会うと、以前話していた投資の話で、1億円投資してくれないと言われた。その条件を聞くと、毎年1100万円ずつ返して、10年で1億1千万円にして返すというものだった。その条件にのり、了解して、6月初旬、伊藤は、久光先生の作った医療法人「悩みのクリニック」に1億円を送金し借用書をもらい残金が3.6億円となった。

そして1992年8月19日、朝、証券会社の担当者からソニー株が安く3600円で気配値が出てると言われ成り行きで2万5千株9千万円購入し、残金が、2.7億円となった。1993年4月、鶴川小学校に入学して、お姉ちゃんの百合ちゃんと一緒に、集団登校を始めた。
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