第19話:百合ちゃんの笑顔と成長

文字数 1,526文字

 やがて3月を迎えると百合ちゃんも4ヶ月になり、いっそう可愛くなり、感情表現も出てきて伊東家のアイドルとなっていた。泣き声も優しい声で、伊藤光一が、抱き上げると笑顔で笑ってくれるのが、一番の癒やしになった。5月になると、ハイハイをし始めて、疲れると大声で大人に応援を頼み、祖母が飛んでくると言う姿が見え、可愛いと母の由紀さんが話した。


 また、運動不足は、良くないので、30分程度、家の近くを散歩し軽い体操もした。伊藤光一は、自分の仕事では、多くの先生方から好かれて信頼を得られた。そのため、すこぶる好調で、新潟赴任以来、最高の業績でボーナスも過去最高を記録。そして、今年の夏休みパジェロに、母の由紀さんと、赤ちゃんの百合ちゃんを乗せて伊藤の実家へ帰った。

 町田の伊藤家でも百合ちゃんは、大人気で多くの写真を撮られた。今年は、有給休暇もとり5日間滞在して、十日町に帰ってきた。8月、由紀さんが、体調を崩し、産婦人科を受診すると、おめでたですと言われ予定日、1987年2月2日と言われた。それからは、体に気をつけて、当分、店の仕事を当分休んでもらうことにした。

やがて夏になり、由紀さんも安定期に入りおなかも出てきて、お母さんらしい顔つきになった。何もしないのも手持ちぶさたなので、店の経理をするようになった。9月になると、朝晩すずしくなり、10月、11月となり、初雪が降ると冬到来。タイヤをノーマルタイヤからスパイクタイヤに履き替える。12月中旬過ぎると一面の銀世界。

 やがて1987年を迎え、伊藤光一は、実家に帰らず十日町の奥さんの実家で過ごした。毎日、娘の百合ちゃんと一緒に遊んだ。もう既に、やんちゃ盛りになり、畳の上を走り回り、転げて泣いたり、実に賑やかである。十日町は、新潟の中でも、特に、おいしい粒の小さいお米「魚沼米」の産地。そのため伊藤も3キロも太り、近くのスキー場へ行きスキーをして減量をはかった。

 そして仕事始めとなり新潟営業所へ行き、仕事で、魚沼地区へ。生活の拠点は、すっかり、十日町になり、新潟へ出かけるという感じになった。早いもので新潟に来て、来年で10年目となる。随分多くの先生方に可愛がってもらい仲の良い先生も増えた。今や新潟大学系の先生には、営業所長よりも伊藤の方が顔が利くようになり後輩の同行依頼も増えた。

 今週も上越の新潟県立中央病院の人事異動で十日町病院で親しくなっていた先生方が赴任することになり、その挨拶回りと接待に後輩に同行を依頼されて病院を訪問。そして、今年の夏、妙高へ先生方5人とトレッキングと温泉に出かける計画を持ちかけられ、その手配を依頼されて了解した。その後、6月に、パジェロも10万キロ、走り、接待にも使うので7人乗りディーゼルターボ・ロングタイプに買い換えた。

 会社の規定でガソリン1リットル10キロ換算で補助金が出。10万キロ走ると1万リットル、ガソリン価格平均140円として140万円が6年間で手に入った計算になる。そのため安いディーゼル乗用車では、会社の補助金で新車を買える。高級車の場合でも購入価格の半分出る事になる、実に良い時代だった。加えて、外勤日当、宿泊、住宅手当だけでも普通のサラリーマンの総収入を超えた。

 こう言う幸運に恵まれ、伊藤光一は、9年間で1千万円を貯金することができ、投資と証券口座を合計すると2千万円を超えた。プロパーの仕事は、ノルマや競争も激しいく、きついが、できるプロパーには、こたえられない程の収入を手にした。もちろん競争に負けて、去って行ったプロパーの数は、勝利者の数十倍いることも事実で、中には胃潰瘍、ノイローゼ、メニエール、自律神経失調症になる人も多かった。
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