第7話:プロパー研修と営業所に配属

文字数 1,513文字

 1976年4月26日から研修が始まり毎週日曜だけ休みだが外出は禁止。食事は、まかないの、おばさんが交代に朝、昼、晩の3食付き、珈琲、紅茶、お茶類は、用意してあり自由に飲める。しかし、お酒、たばこは禁止。風呂、トイレは、交代制で2人ずつで掃除。部屋も自分たちでの掃除。消灯は23時、朝7時迄には、全員起床、近所の散歩以外の遠出禁止。

 毎日のスケジュールは、7時半から30分間の座禅。8時から11時半まで勉強。12時半時まで昼休み、12時半からから16時まで勉強、16時から16時半、ランニングなど運動時間。16時半から18時迄、勉強。18時から20時まで食事とお風呂時間。22時睡眠で6時起床が原則。以上のようにきっちりと時間割が決まっていて、毎週土曜日に1週間の学習範囲からのテストで70点以上が合格。

 それ以下は不合格。不合格は、2回までの追試。月に2回の不合格で落第、退所、月をまたがずでも合計3回の落第で退所。カンニング、不法行為、喧嘩、反抗的態度で即刻退所。実際に研修が始まると、たばこ、飲酒、禁止で、いらいらする人が最初の1ヶ月で出てきた。それでも、なんとか我慢すると落ち着く。一番困るのが、記憶力の弱い人と気持ちの弱い人。

 試験の成績は、記録力の順番で点数が良いが、おおむね最初の試験結果の順位が、そのままとなるケースが多い。優秀な大学出た者が、トップにならないところが、面白い。その他、勉強の要領が良くて、十分に睡眠をとれる人と要領が悪くて、時間が、かかる人とに2分される傾向がある。毎日のランニングの順位は、不動であるが、体調が悪化がすぐわかる。

 最初の1ヶ月、2人が退所処分。1人はカンニング、もう一人は規則正しい生活になじめず自主退所。2ヶ月でも2人退所、1人不正行為、1人はテストの成績。3ヶ月、最終月は、退所者なしで、最終的に28人中24人が研修を卒業。7月23日・金曜日が修了式で、この時は、みんな、ほっとした顔していたが、感極まり涙見せる者もいた。

 しかし、2人の講師の先生は、生徒24人の正確、強み、弱みを報告書に書き込み、会社に提出される。配属先は、自分の住まいに近い営業所となる。その後、午後15時頃、大阪の本社近くのホテルへ行き、解散で、遠方の人は、1泊して翌日、帰る。東京組は、その日のうちに新幹線で帰っていった。その後、8月16日まで、連続休暇。しかし給料は通常通り支給される。

 8月17日から各自の配属先に出勤して、通常勤務。伊藤は、立川の東京西営業所に配属されて、電車通勤で1時間かけて通勤することとなった。8月中は、営業所内の全担当者から担当病院、医院の引き継ぎを行った。その際、町田病院が、最後の訪問となる時だけは、直接、伊藤の家に送ってくれた。それ以外の日は、所長、課長か、チームリーダーが、その日の訪問の様子を聞いた。

 そして、営業レポートを2,3枚書いてチームリーダーに提出。チームリーダーが読んで、最後、所長に見てもらう読んだ後、ハンコをもらう。問題が、ありそうな場合は、チームリーダーが、その問題点を指摘して、改善を指示。あまりひどい場合は、所長面談となる。営業所に戻るのが19時半から20時で、1時間後くらいには、レポート提出し帰宅。

 伊藤の場合も特に大きな問題がなく20時までには、会社を出て21時半に帰宅。朝7時から7時半に家を出て9時に出社で会社の始まりは9時半である。その当時、この程度が、当たり前だった。県外出身者は、営業所の近くに家を借りた。しかし、猛烈社員が多い、この時代、24時間、実際に戦う者もいる時代、SG製薬は、業界でも、まだましな方だった。
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