第3話:絹代さんの不憫な死と光一の決意

文字数 1,487文字

そして、幸代の胸騒ぎが的中したかのように4月18日昼過ぎ但馬絹代さんの訃報が飛び込んできた。それを聞いて伊藤夫妻が小学校へ行き光一を連れタクシーで病院へ向かった。
「既に、遅く、但馬絹代さんの顔に、白い布が、かかってた」。
「旦那さんが、昨日の昼頃から体調が急変し意識が遠のいたと話した」。

 昨日は、伊藤さん達が、お見舞いに来てくれたと喜んでいた。
「もう、光一君とも会えなくなるのと言い泣き始め元気がなくなった」。
「やがて、目がうつろになり、しゃべれなくなったと話した」。
「最後まで光一君の事を気にかけていたと言うと黙って涙を流した」。

「それを見て、母が、ハンカチを渡した」。
「旦那さんが、絹代は、我が子を抱けなかったけれど、神のご加護で偶然にも伊藤幸代さんの子供に自分の欲しかった子供の姿を投影していたのですね」。
「それが彼女にとっての最後の女の幸せだったのかもしれないと言うと4人とも涙を拭きながら話し続けた」。
「お役に立てて良かったと幸代がぽつりと告げた」。

 また、葬儀の日程がわかりましたら、お知らせ下さいと、伊藤実一が言うと、了解しましたと旦那さんが言い、病室を後にした。その日の晩、4月22日お通夜で23日葬儀と連絡が入った。そして、伊藤のマンションから但馬家まで徒歩10分であり、今まで、あれだけ世話になったのだから、お通夜から参加しましょうと幸代が言うと、家族みんなが同意した。

 22日、但馬家に行き、亡き絹代さんの話になった時、近所のおばさんが、絹代さんは、いつも、光一君の話していたと語った。
「あんなに子供好きなのに神様は、むごいね」。
「子供のできない体にして、最後、癌の転移で亡くなる何てと言うと、みんなの涙を誘った」。
「その後も思い出話が続き1時間も過ぎた頃、そんなに可愛がられたのだから1人前の男になれと光一が、言われ、僕、頑張って恩返しすると答えた」。

 夕方21時過ぎに、伊藤家の人達は、帰宅。翌朝10時前、葬儀場へ行き、伊藤幸代さんと旦那さんが受付した弔問客を会場に案内する係をした。近所の人を中心に38名の参列者が来ていたが、彼女の実家の福島から、電報の1つも届かなかった。理由をそっと旦那さんに聞くと彼女は、福島での辛い思い出があるので疎遠になった様だと教えてくれた。

 そして、お坊さんの読経が終わり、弔問客が、次々と弔問し、荼毘にふされる時、精進落としと言い、昼食を食べた。
「骨拾い儀式の時、伊藤光一が、呼ばれて骨を拾い骨壺に入れた」。
そうして、葬儀が、終了し、伊藤家の3人も、お寺に行き、お墓まいりをした。
「伊藤幸代と光一が墓前に手を合わせると、亡き絹代さんが、微笑んでるように曇り空が裂けて明るい日差しがさした」。

 数日後、伊藤実一が、但馬健介に呼ばれてた。行くと、絹代さんの封筒に入った遺書を渡された。読んで下さいと言われ目を通すと昨年12月31日の日付。
「私の体は、癌に侵され、長くはもたない」。
「そこで、ここに、自分の気持ちを書いておく事にする」。
「もし、私が亡くなったら、彼に、子育ての経験をさせてもらった、お礼として全資産を伊藤光一君に相続させると書いてあった」。

「本当によろしいのですかと確認すると、彼女の気持ちをくんで下さいと伊藤光一君に、言っておいて下さいと言い、絹代さんの預金通帳3冊を渡された」。
「合計436万円、伊藤実一さんの銀行と口座番号を教えてと言われ伝えた」。
「明日中に送金しますので確認できたら電話して下さいと言われ、お礼を言って頭を下げた」。
「光一君には、絹代の墓参りしてやってと伝えて下さいと言われた」。
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