第32話:好景気からリーマンショックへ

文字数 1,641文字

 衆院選による与党の圧勝を受けて、東京株式市場は構造改革の進展を期待する買いが集まり、連日のように高値を更新。インターネットを通じた個人投資家の取引が急増し、2005年12月9日の東証の売買代金は初めて4兆円を突破。一方で、株高は資産バブルが再燃する前兆ではないかと懸念する専門家も少なくない。また、前日の米国株高や原油価格の急落を好感して幅広い業種に買いが広がった。

そのため日経平均株価が前日比261円36銭高の1万3867円86銭と続急伸し史上最高値を更新。日銀は2006年3月、短期金利がゼロ%近辺まで低下しても市場に潤沢な資金を供給する量的緩和政策を解除したのに続き、7月には短期金利の誘導目標を0.25%に引き上げ、5年4カ月ぶりにプラスの金利を復活させた。

 現在の景気拡大が高度成長期の「いざなぎ景気」を抜き戦後最長を更新するなど、経済は着実に前進していると当時の福井俊彦日銀総裁が判断したためだ。ただ、企業部門の回復をけん引した米経済に陰りが見えるほか、国内の個人消費も足踏みを続けているため、日銀は追加利上げの時期を慎重に模索した。

 2006年、長女の伊藤百合は、英語が得意なので、それを生かすために5大商社に就職するのを目指した。その中でも、エネルギー、石油以外の取り扱品の多い伊藤忠か丸紅にはいりたいと思った。そのため2006年の春休み伊藤忠で3週間研修し、夏休み丸紅で3週間研修をした。その後、2006年10月、丸紅を受験。内定通知をもらい合格し2007年4月、日本橋の丸紅本社に配属された。

しかし、2007年8月、パリバショックが起きた。これは、BNPパリバ傘下であったミューチュアル・ファンドが投資家からの解約を凍結すると発表したことにより、フランス国内だけでなくヨーロッパ全体、また世界のマーケットが一時的にパニックになった。為替相場をはじめ株式その他の金融商品が大きく変動し、世界の市場に金融危機が広がるきっかけとなった。

 そして2008年、米国の住宅バブルが崩壊し低所得者向け高金利型「サブプライム」住宅ローンの焦げ付きが多発したことで、米欧金融機関の経営が急速に悪化、世界的な金融危機に発展。9月、米証券大手リーマン・ブラザーズの経営破綻で、危機が深刻化。議会で金融安定化法案が否決されると、米株価が暴落し、ダウ工業株30種平均は史上最大の下落幅777ドルを記録。

 10月に修正後の法案が成立したものの、株価は約4年ぶりに1万ドルを割り込んだ。危機は新興国にも波及。主要中央銀行による同時利下げ、金融機関への公的資金注入、市場への資金供給などが講じられ、金融サミットで景気てこ入れ策が合意されたものの、世界経済は「大恐慌以来」の深刻なリセッション「景気後退」に陥るとみられている。

米国発の金融不安が世界中に拡大し、東京株式市場でも株価が大暴落。日経平均株価は10月27日、終値ではバブル後最安値となる7163円に下落。1982年10月以来およそ26年ぶりの低水準。昨年末からの下落率は最大53%超に達し、企業活動や個人消費の冷え込みに拍車を掛けた。9月以降は米金融大手リーマン・ブラザーズの倒産で株の投げ売りが加速。

その中でも10月16日は欧米の大手金融機関の連鎖倒産懸念から11.4%安と1953年のスターリン暴落を超える下げ率を記録し、87年のブラックマンデーの14.9%安に次ぐ過去2番目の急落となった。政府は空売り規制など緊急対策を発動したが、日米景気の先行き不安は根強く、年末を前に株価は不安定な動きを続けた。

2007年8月のパリバショック後、2008年のアメリカのサブプライムローンの破綻で世界中の株価が暴落。当初、日本の金融機関には、大きな影響が少ないとみられていたが、それでも日本株の株価も同じように大きな下げを見せ始めた。世の中、不景気となり財布のひもが固くなり、「悩みの医院」に気軽に通っていた患者さんが、減り始めた。
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