第5話:卒論の実験成功と就職紹介

文字数 1,480文字

 実験は、ミスしなければ、必ず成功するが、投資は、ミスする原因が、多すぎでとても制御できない。また、不景気の風が吹くと、どんな優秀な企業でも純利益を減らす。大きなミスを犯すと赤字になり株価が大きく下げ損金が増える。ひどい場合は、取り返しできず、最悪の場合は倒産して、その会社の株券が、ただの紙切れとなる。

 何てスリリングなんだと思い、断然、興味を持った。そうして1973年を迎え、5月の20歳の誕生日の後、町田駅近くのN証券に投資講座を開き400万円を入金。この頃は、専門課程に入り、化学溶液からその成分だけを抽出する技術を学んだ。そして、いかに早く正確にできるかを研究室内の全員で、競い合い、伊藤は、かなり良い成績を残した。

 そして1974年、研究室の増本教授に自分に、コネがあるSG製薬に就職口を聞いてあげようかと言われ、お願いした。その後、増本教授と卒業論文のテーマを探し始めた。11月22日、4つの卒業論文のテーマを増本教授に提案され検討。その後、11月25日、証券会社の担当者から電話で三菱商事の株価が安いので買いと言われ165円で指し値買いで2万株を発注。

 11月27日の昼過ぎ大学から証券会社に電話すると担当者から全株330万円買えたと言われ、残金70万円と告げられた。12月も卒業論文のテーマの実験の内容について多くの文献を読み込んだ。そして12月20日、4つのテーマのうち2つは、実験で有害ガスが出る、もう一つは、爆発の可能性があると言うことがわかり、卒業論文のテーマが2つに絞られた。
 
 そして1974年が終わり、1975年となった。結局、時間があるから2つの合成実験をする方が面白いと言われ卒業論文の提出のための実験を開始。しかし実験と言っても全行程5日で約1週間かかる。そして、実験室の空きを考えると1975年は、遊んでる暇はなくなった。4月第1週目にから研究室でも最初の実験を開始。

 4日間、研究室に泊まり込みで実験したが第4工程目の合成の時、せっかく合成できた物質が、長時間加熱し過ぎたため純度が低くなり、完全に実験が失敗し振り出しに戻った。この結果を増本教授に報告すると成功の確率の高いもう一つの実験を完成させて、とりあえず、1つの卒業論文を書けるようにすべきだと言われ納得。5月連休、実験室が空いてることがわかった。

 そこで、この1週間で完成させようと4月26日から実験開始。最初の日は徹夜して24時間して、今回は、友人に必ず起こしてくれと言い、研究室の友人の佐藤君と2人で実験開始。もちろん佐藤君の実験の時は、自分が手伝う約束をしていたのは言うまでもない。その結果、5月1日には、目的物質の合成に成功。そして。その物質の純度、特性などのデータを書いて、実験が終了。

 6月の第2週、佐藤君の卒論のための実験に、つきあって、彼の実験中に伊藤が睡眠を取って交代するというスケジュールで実験を開始。6月13日の早朝に終了し実験結果をまとめた。それを見て、佐藤君が純度が悪いので、このデーターの信憑性が問題になると言った。そして、合成の時間が短すぎたと反省し、結局、卒論の実験に失敗。

 その後、1975年9月13日、佐藤君にもう一度、卒業論文のための実験につきあうからと言う条件で、伊藤のもう一つの物質の合成実験を開始。この実験は、温度、湿度も微妙に関係するので研究室のクーラーを調整しながら実験して佐藤君と交代で実験をし難しい実験の時には伊藤が実験するスケジュールで実験開始。一番難しい実験の時、不安視していた色の変化が見られず終了。
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